【短期集中連載】若かりし角田裕毅の素顔05(全5回)前編「2022年〜現在:F1」「中嶋悟がホンダに推薦したらダントツに…

【短期集中連載】
若かりし角田裕毅の素顔05(全5回)前編
「2022年〜現在:F1」

「中嶋悟がホンダに推薦したらダントツに速かった」

 2024年、F1で4年目のシーズンを迎えた角田裕毅は、中団グループで幾度も快走を見せると同時にチーム「レーシングブルズ」を牽引し、ライバルチームからオファーを受けるなど、F1界における地位を確立し始めた。

 そして2025年、開幕からわずか2戦で、急遽レッドブル昇格の命を受けた。

 F1ドライバー角田裕毅がどのようにして形づくられていったのか。それを間近でつぶさに見てきた元ホンダのF1マネージングディレクター山本雅史とともに紐解いていく。

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角田裕毅はアルファタウリで日に日に成長していった

 photo by Boozy

── 2021年限りでホンダがF1から撤退したあとも、山本さんはたびたび現場を訪れて、角田選手と交流を持ち続けてきました。レッドブル昇格はどのように感じましたか?

「レッドブル昇格が決まった時に『やっとレッドブルに乗れたね、おめでとう』とメッセージを送ったんです。そして鈴鹿で会った時、開口一番で『山本さんと話していたレッドブルに上がるという目標が果たせました、やっとここに来ましたよ』と言ってくれた。うれしかったですね」

── FIA F3で頭角を現わした頃から「日本人ドライバーをF1の表彰台の頂点に立たせる」という目標に向かって、ともに突き進んできたヘルムート・マルコ(レッドブル・モータースポーツアドバイザー)さんは角田選手のレッドブル昇格をどう見ていましたか?

「マルコさんからは『裕毅は本当によくなった』とハッキリ言われましたし、すごくうれしかったですね。ふたりで角田をF1の頂点に立たせるという目標を持っていたから、気を遣ってそう言ってくれたのかもしれないけど、それだけでなくいろんなことを褒めてくれていました。

 その話を角田本人に言ったら『本当に!?』って首をかしげていて。彼にとっては、今でもマルコさんはものすごく恐い存在なんだなと思いました(苦笑)。人の言葉に対して素直に耳を傾けるのが角田のいいところなんだけど、逆に素直だからこそ、マルコさんの厳しいお言葉はこたえちゃうんだと思いますけどね。フランツ(・トスト/アルファタウリ元代表)は優しく言うから」

【ヨレヨレのTシャツ姿から...】

── 2022年から2025年まで2年目以降の角田選手の成長は、少し離れたところからはどのように見えましたか?

「成長しているとは思うんですけど、見ていて思うのは、『すごく苦労しているな』ということです。F1というフィールドのスケールの違いだったり、エンジニアとのやりとりだって際限がないわけで、学ぶことがあまりに多い。

 でも、学業と違ってそこに教科書があるわけではなくて、自分で現場で学んで積み重ねていかなければいけない。だから難しいんですよね。チームメイトのデータと比べたり、エンジニアと話し合ってその理由を学んでいって。そのプロとしての自覚が、日に日に強くなってきたと思います。

 1年目は開幕戦(9位入賞)が思いのほかうまくいって、浮き足立つようなことばかりだったけど、2戦目(クラッシュ)で鼻をへし折られてしばらく立ち直れなくて、何をどうすればいいかもわからない状況になってしまった。しかし、アレックス(アレクサンダー・アルボン)の助けがあって、学ぶことによって成長していった。

 それに伴って、顔つきも一気に変わっていったように感じます。ヨレヨレのTシャツと短パン姿でホンダ本社に来た時から見ているだけに(苦笑)、F1という世界はこんなに人間を成長させて変えるんだな、と思いました」

(つづく)

「ハミルトンやアロンソと同じタイプのドライバー」

【profile】
山本雅史(やまもと・まさし)
1964年3月15日生まれ、奈良県出身。高校卒業後の1982年、本田技術研究所(Honda R&D)に入社。2016年、マネージメントの手腕を買われてホンダ本社のモータースポーツ部長に就任。2019年にF1担当マネージングディレクターとなり、2020年のアルファタウリ優勝や2021年のレッドブル・ドライバーズタイトル獲得に貢献。2022年1月にホンダを退職し、現在はMASAコンサルティング・コミュニケーションズ代表を務める。