青森県中泊町出身の大相撲元関脇・宝富士関(38)=本名・杉山大輔=が1日、日本相撲協会に現役引退を届け出た。初土俵から…

 青森県中泊町出身の大相撲元関脇・宝富士関(38)=本名・杉山大輔=が1日、日本相撲協会に現役引退を届け出た。初土俵から一度も休場することなく土俵を守り続けた。16年に及んだ現役生活に別れを告げた「鉄人」に、地元からねぎらいの言葉が贈られた。

 「満身創痍(まんしんそうい)だったはず。ここまでやったのは大したもんだ」

 宝富士関が相撲人生をスタートさせた中泊町の相撲道場で総監督を務める小山内誠さん(49)は、地元・青森を盛り上げたヒーローのこれまでの活躍をたたえた。

 この日午前、小山内さんのもとに宝富士関本人から電話があった。「引退することになりました」。声を聞いた小山内さんは「すがすがしく、やりきった感じがした」という。宝富士関には「長い間、よくがんばったな。お疲れさん」と声をかけた。

 道場で、宝富士関は四股やすり足などの基本を繰り返し、小山内さんから左のさし方を毎日のように教え込まれた。「おとなしいけど、真面目に黙々とがんばる子だった。だから強くなれたんだ」

 2009年初場所で初土俵を踏んだ宝富士関。得意とする左四つからの寄りで白星を積み重ね、初土俵からわずか2年3カ月で新入幕を果たした。その後も番付を上げ、15年の名古屋場所で小結、翌年の秋場所で関脇へと昇進した。

 腕や足など体中にけがを抱えながらも土俵を守り抜いた。幕内在位は78場所を数え、通算の連続出場記録を歴代6位の1398回まで伸ばした。140年を超える県出身力士の幕内在籍記録をつないできた功労者でもある。

 宝富士関は8月、道場を訪れ子どもたちに胸を貸した。小山内さんには、宝富士関が明るく楽しそうに相撲を取る姿が印象に残っている。宝富士関に稽古をつけてもらった小山内さんの長男の偉羽武(いうむ)さん(10)は「富士山みたいに大きくて、びくともしなかった。将来は宝富士関みたいな力士になりたい」と目を輝かせた。

 今後は年寄「桐山」を襲名し、在籍する伊勢ケ浜部屋で後進の指導にあたる。「宝富士関のように黙々とがんばる、我慢強い力士を育ててほしい」。小山内さんはそう願っている。(野田佑介)