蹴球放浪家・後藤健生は、これまで多くの試合を観戦してきた。その中でも「忘れられない」最高の試合が、1つある。その甘美な…
蹴球放浪家・後藤健生は、これまで多くの試合を観戦してきた。その中でも「忘れられない」最高の試合が、1つある。その甘美な思い出は来年、北中米ワールドカップが開催されるメキシコの、ある州都のスタジアムとつながっている。
■マラドーナが消した「守備的」な印象
僕はこれまでに約1000か所ほどのスタジアムで試合を見たことがありますが(実際の数は僕も知りたいのですが、ちゃんと数えたことはありません)、最も思い出深いスタジアムのひとつに、メキシコのハリスコ・スタジアムがあります。スペイン語で言えば「エスタディオ・ハリスコ」。メキシコ・ハリスコ州の州都グアダラハラにあるスタジアムです。
僕はメキシコには1回しか行ったことがありません。もちろん、1986年のワールドカップのときです。
1986年のワールドカップはディエゴ・マラドーナの全盛時代。アルゼンチンのカルロス・ビラルド監督は守備的なサッカーで有名ですが、その中にマラドーナがいたことで「守備的」という印象はすっかり消えてしまいました。ビラルド監督は国内でもその戦い方に批判を受けていましたが、アルゼンチンが2度目の優勝を決めた後、アステカ・スタジアムのピッチには「ペルドン、ビラルド。グラシアス」と書かれた大きな国旗が掲げられました。「ごめんなさい、ビラルド。そしてありがとう」という意味です。
■ペレにとって「最後」のワールドカップ
メキシコでは1970年と86年の2回ワールドカップが開催されました。
1986年大会はもともと南米のコロンビアで開催することになっていたのですが、コロンビアは治安が悪化したため開催を返上したのです。代替開催国としてアメリカ合衆国も手を挙げましたが、FIFAは「アメリカは広すぎる」という理由でアメリカではなくメキシコを選んだのです。
2026年大会はアメリカを中心にカナダ、メキシコの3か国で開催されるのですから、今から考えれば「アメリカは広すぎる」というのはおかしな理屈です。
この決定はメキシコのテレビ局「テレビサ」の政治力によるもの。同社とFIFA会長のジョアン・アベランジェには“特別な関係”があったのです。
まあ、そういった利権絡みの話は別として、メキシコで開催された2度のワールドカップはどちらも大会史上で最も面白い大会になりました。
1970年大会はペレにとって最後のワールドカップとなり、トスタン、リベリーノ、カルロス・アルベルトなどを擁するブラジルは南米予選から本大会決勝まで1つの引き分けもなく全勝で優勝しました。
しかも、準優勝のイタリアにはジャンニ・リベラやサンドロ・マッツォーラ、ジャチント・ファケッティといった名手がそろい、西ドイツにはウーベ・ゼーラーとゲルト・ミュラー、フランツ・ベッケンバウアーがいたのです。
■面白かったのは「暑さと高地」の影響?
同様に、1986年大会ではアルゼンチンにはマラドーナをはじめダニエル・パサレラ、ホルヘ・バルダーノ、ホルヘ・ブルチャガがおり、フランスにはミシェル・プラティニやドミニク・ロシュトー、アラン・ジレスら、ブラジルにはジーコやソクラテス、カレカがいました。さらに、スペインのエミリオ・ブトラゲーニョ、メキシコのウーゴ・サンチェス、ソ連(ウクライナ)のオレグ・ブロヒン、デンマークのミカエル・ラウドルップと、各国のサッカー史を飾るスーパースターたちがいたのです。
「メキシコ大会が面白かったのは、暑さと高地の影響でヨーロッパの選手が運動量を発揮できず、テクニカルなサッカーになったからだ」という説もありますが、これだけのスーパースターがそろっていれば、どんな環境であろうと面白くならないはずはないと思います。
とにかく、僕はこれまで13回のワールドカップを現地観戦していますが、1986年大会は最も面白かった大会でした。
中でも最高だったのが準々決勝のブラジル対フランス戦。延長まで戦って1対1の引き分けに終わり、PK戦でフランスが準決勝進出を果たしたのですが、120分間、息つく間もないような戦いが続き、飽きる瞬間がまったくありませんでした。時計の針が120分に近づくと「まだ終わるな。もっと見ていたい」という気持ちになっていました。
その人生で最高の試合と出会ったのが、ハリスコ・スタジアムだったのです。