現在、アジアのサッカー界は日本がリードしていると言ってもいいだろう。だが、かつては韓国の前に歯が立たない時代があった。…

 現在、アジアのサッカー界は日本がリードしていると言ってもいいだろう。だが、かつては韓国の前に歯が立たない時代があった。さらに時代をさかのぼれば、中国の悠久の歴史に思いを馳せざるを得ない。蹴球放浪家・後藤健生は東アジアカップで中国文明のすごさを思い知った!

■美しい輝きを放った「縄文時代」の剣

「天勾践を空しうすること莫れ」という成句をご存じでしょうか? 「時に范蠡無きにしも非ず」と続きます。「てんこうせんをむなしうすることなかれ、ときにはんれいなきにしもあらず」と読みます。

 中国の春秋戦国時代、現在の江蘇省にあった「越」の国が隣国「呉」に滅ぼされ、越王の勾践が捕らわれの身となりますが、部下の范蠡の助けを得て国を再興して逆に「呉」を滅ぼすという中国の故事です。「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」という言葉も、このときの故事から生まれました。

 その「勾践の剣」というものを見たのは2015年の8月にEAFF東アジアカップ(現、E-1選手権)が中国湖北省の武漢で開かれたときのことです。

「勾践剣」は武漢市東部、東湖の湖畔にある湖北省博物館に展示されていました。

 越の宝物が武漢にあるのは、その後、越が湖北省を本拠とする「楚」に滅ぼされ、剣も戦利品として楚に持ち帰られたからです。8本あったとされる勾践の剣の1本が1965年に湖北省荊州市から出土したのです。

 春秋戦国時代といえば西暦紀元前のこと。勾践は紀元前496年の生まれとされていますから、今から2500年ほど前。日本で言えば縄文時代のことです。

 しかし、僕の目にあるガラスケースに入った勾践が自ら作成したとされる銅剣は、まるで最近作られたもののように黄色く美しい輝きを放っており、とても2500年も前のものには見えませんでした。しかし、これは紛れもない本物。硬さも十分に保っているそうです。

 恐るべし、中国古代文明!

■現在の柏監督が指揮した「強豪」も

 2015年の東アジアカップは武漢が舞台で、男子、女子の12試合すべてが武漢体育中心(中華人民共和国の湖北省武漢市にある多目的スタジアム、スポーツセンター)で開催され、しかも僕はスタジアムまで歩いて行ける距離のビジネス・ホテルに泊まっていたので、非常に楽な観戦環境でした。中国の「三大炉」のひとつと言われる武漢は暑かったですが……。

 そして、試合のない日には武漢を観光して回ったというわけです。その中でも、この勾践の剣は最大の発見でした。

 現在、武漢には「武漢三鎮」という超級聯賽(スーパーリーグ)の強豪クラブが存在しています。新興チームですが、2023-24シーズンのAFCチャンピオンズリーグACL)にも出場。2023年には高畠勉(元、川崎フロンターレ監督)、昨年はリカルド・ロドリゲス(現、柏レイソル監督)とJリーグ縁の人物が監督を務めていました。

 ちなみに、昨季の女子ACL準々決勝で三菱重工浦和レッズレディースをPK戦で破って、その後初代女王の座に付いたのも武漢江大というチームでした。

■見どころたくさんの「4000年」都市

 武漢三鎮の「三鎮」というのは「3つの町」という意味です。

 湖北省の省都、武漢は人口1100万人の大都市ですが、中国屈指の大河、長江が南北に流れており、その長江に西から流れてくる漢江が合流しています。つまり、2本の川によって「T」の字を横に倒したような形で3地区に分かれているのです。長江の東側が武昌。漢江の北が漢口。南が漢陽で、3都市が合併してできたのが武漢市です。

 体育中心(スポーツセンター)は漢陽側、湖北省博物館は武昌側にありました。

 なにしろ、かつての楚の中心で、4000年を超える歴史を持つ都市だけに、勾践の剣以外にも見るものはたくさんありました。観光地は2つの大河が合流する近辺に集中していますから、地下鉄やバスに乗れば、どこにも簡単に行くことができます。

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