東海大・駅伝戦記 第13回 出雲駅伝を優勝した後、川端千都(かずと/4年)は出雲ドームから離れた浜山陸上競技場にいた。出雲に出場できなかった選手による長距離記録会に出走するためである。5000mの記録会だが、走るのは本来、出雲に出場する…

東海大・駅伝戦記 第13回

 出雲駅伝を優勝した後、川端千都(かずと/4年)は出雲ドームから離れた浜山陸上競技場にいた。出雲に出場できなかった選手による長距離記録会に出走するためである。5000mの記録会だが、走るのは本来、出雲に出場するために選ばれた選手たちだ。レベルは必然的に高くなる。



5日の全日本大学駅伝では、アンカーを務める予定の川端千都

 川端は競技場内の待機所で、静かにアップをしていた。

 10年ぶりに優勝を果たしたというのに表情はいつになく厳しい。自分を含めて、今回は4年生がひとりも出走できなかった。その悔しさが優勝の喜びよりもきっと大きいのだろう………。

 レースが始まり、東海大と青学大の一騎打ちになった。

 塩澤稀夕(きせき/1年)が前に出ていく。2番手を走る青学大の選手を追いながら川端も粘る。そのまま3位でフィニッシュし、その後に國行麗生(4年)が続いた。

 レースを終えると、いつものように両角速(もろずみ・はやし)監督のところに報告にいく。神妙な面持ちで監督の前に立ち、話を聞く。「次は長い距離になる。期待しているぞ」と監督に声をかけられた川端は、「はい」と小さく返事し、待機場所に戻っていった。

 その背中が、少し寂しそうだった。

*    *    *

 あれから約3週間が経過した。練習を終えた川端の表情はあの競技場にいた時とは異なり、明るく、気力が漲(みなぎ)っていた。

――出雲の時は、つらいというより寂しそうな感じだった。

「うーん、やっぱり自分が走らない優勝は微妙ですよ。みんな、優勝してワーッとなっている時、自分は違う場所にいて、そういう喜びも感じれられなかった。『おめでとう』とは思いますけど、同時にコノヤローみたいな気持ちもあり、複雑でしたね(苦笑)。モヤモヤして、出雲の翌日の朝練、ひとりで出雲路を走りましたもん」

 川端が出雲に出場できなかった悔しさは、相当なものだった。

 1年生の時に箱根を走り、駅伝界にデビューした。その走りから将来のエース候補と称され、その後も3大駅伝を走り続けてきた。

 だが、4年生になって初めて駅伝を走る区間メンバーから外された。

「9月の紋別での夏合宿で監督に『出雲はスピードのあるメンバーでいきたいので、今回は難しい』って言われて……。それもそうやなって思いましたけど、やっぱり言われた時はショックでしたし、反発心が出ました。マジかよって」

 川端が補欠という現実を受け入れられなかったのは、もちろん4年生としてのプライドや意地があるが、何より苦しい時間を経て、戦えるだけの力が身についてきたという自負があったからだ。

 川端は1年の箱根で衝撃的なデビュー(エース区間2区で7位)を飾った後、2年時の箱根駅伝前に髄膜炎を発症し、入院した。そのシーズンの箱根では7区を走ったが1時間5分55秒で区間10位に終わり、満足のいくレースができなかった。その後もしばらく元のフォームを取り戻すことができず、苦しい時を過ごしたという。

「箱根は髄膜炎が治って走ったんですが、ボロボロに終わり、そこから自分の走りの感覚がわからなくなり、思うように走れなくなったんです。フォームを矯正したりしたんですが、出雲(4区・区間6位)も全日本(2区・区間13位)も結果につながらず、モヤモヤしているうちに箱根が来てしまったんです。ヤバいなって思っていたんですが、3年の時の箱根がすごく楽しく走れたんです。何がきっかけかとと聞かれてもわからないんですが、その後の都道府県駅伝や丸亀ハーフでもそういう気持ちで走れた。

 そうして、今年はスピードをつける練習をしつつ、距離も踏んできた。このままいけば1年の時以上の走りができると思っていたので、出雲に出られなかったのは、やっぱり悔しかったです」

 1年の時以上の走りができる──それを裏付けるだけの練習はしてきた。

 夏の白樺湖選抜合宿では、筋トレに励み、故障しない体作りと体幹強化に励んだ。練習後も車ではなく、ジョグしてホテルに帰ったり、周回ジョグの回数も多くしたり、自分なりに量を重視して走った。また、チーム練習では春日千速(4年)や國行とともにチームを引っ張り、先頭に立ってトレーニングに取り組んだ。

「学生最後の夏合宿ですし、一番頑張った夏合宿にしようという目標を立てたんです。白樺の周回コースをプラスして走ったり、移動をジョグで走っていると、その姿を見た三上(嵩斗/3年)や關(颯人/せき はやと/2年)、松尾(淳之介/2年)が一緒に走るようになったりして、4年生として後輩を引っ張ることができた。個人的にも今年つけたスピードにプラス、スタミナをつければ、走力がより向上して記録も狙えると思えるほど、夏合宿ではしっかりと距離を踏むことができた。すごく手応えのある合宿になりましたし、もちろん出雲への手応えもありました」

 しかし、すでに出雲は終わってしまった。

 出雲で指定席を失った川端にとって全日本でその椅子を取り戻すには、大会まで4週間の間のレースで結果を出さなければならない。しかも、チャンスは1度しかなかった。

 10月15日、川端は高島平ロードレースに出場した。

 1周5kmのコースを4周する20km。招待選手には川内優輝の名前があった。ロンドン世界選手権のマラソンを走った選手だけに相手にとって不足はない。

 そのレース、川端は終盤に川内を差して、見事優勝したのである。

「僕にとってこのレースは背水の陣でした。紋別での合宿で出雲の次って言われましたけど、ここを勝たないと全日本は走れないという気持ちでした」

 このレース、川端はそれまでとは少し違う展開を見せた。いつもなら相手についていって、最後で勝負するスタイルだが、この時は自らレースを引っ張る時があり、積極的なレースを展開したのである。

「最初からいくと失敗すると思ったので、そこはみんなの流れにのって、中盤で中だるみしそうなところでは自分がペースを刻めば記録もついてくるかなって思っていました。5km通過以降は(1kmを)3分以上かからないように自分が引っ張っていけましたし、後半は川内さんがいてくれたので、そこにリズムを合わせながら最後の3kmでもう一度仕掛けるレースができた。それで勝てたのがすごく自信になりました」

 収穫は勝ったこともそうだが、より大きいのは全日本でアンカーを走ることを想定して狙い通りのレースができたことだ。昨年の全日本は2区を走ったが、最初から突っ込み過ぎて後半、落ちてしまった。その反省からこのレースでは1km3分のペースを刻みつつ、レースをリードし、両角監督が重視する”勝利”を得た。これで全日本での出走が当確になった。

「全日本はアンカーしか考えていないです。理想は出雲のようにある程度、最後に余裕を持ってきてもらえるとうれしいですね。1分以上の差があると3分ペースで淡々と走れるので、それが一番気持ちいいかな(笑)。仮に青学大をはじめ、競(せ)った状態できたとしても、最後に1番でゴールすることだけを考えて走りたい。ホント勝ちたいんで」

 出雲の悔しさを晴らしたい気持ちが強いだろうが、川端ら4年生が考えた目標「打倒・青山学院」を実現し、「箱根駅伝優勝」につなげるためにも全日本は勝たなくてはならないレースだ。

「相手(青学大)のことはいつも視野に入っていますし、どんなレースでも相手に負けない気持ちでやってきました。出雲では勝ちましたけど、まだひとつ獲っただけ。次も勝ってこそ強さが認められる。必要以上に相手を恐れず、自分たちの力を出せば勝てるという自信をみんな持っているんで、その力を出し切れれば結果がついてくると思います」

 もうひとつ、川端には打ち破るべきものがあった。

「1年の時のイメージがすごく強いんですよ。よく、あの頃の走りは……とか、あの頃は強かったなぁと言われて、それって結構つらいし、カチンときます。ただ、結果が出ていないので何も言えない。でも、1年の時の走りを超えずして大学生活を終えることはできない。これは絶対に越えないといけない壁だと思っています」

 その壁を全日本で打ち破ることができれば、東海大勝利の確率は一段と上がるだろう。あとは、本番までコンディションを整えられるのかどうか。昨年は大会直前に体調不良の選手が出て、予定していたオーダーが組めず、川端自身もレース2日前に区間変更を余儀なくされ、8位と惨敗した。

「昨年は合宿で移動してから風邪をひいたりしてボロボロだったんで、それだけが一番怖い。今、細心の注意を払っていますが、油断はできません。全日本では誰ひとり欠けることなくスタートラインに立てれば、自分たちは勝てる。個人的には、ここから自分の出番やなって思っています」

 出雲駅伝では4年生がひとりも走れなかったが、全日本では4年生が、そして川端が駅伝を走る。

 いよいよ真打ちの登場である。