東海大・駅伝戦記 第12回 出雲駅伝で10年ぶり4度目の優勝を果たした東海大学。 両角速(もろずみ・はやし)監督と西出仁明(のりあき)コーチの研究室はお祝いの花で埋まり、西川雄一朗主務(4年)曰く「優勝したんだと改めて感じました」という…

東海大・駅伝戦記 第12回

 出雲駅伝で10年ぶり4度目の優勝を果たした東海大学。

 両角速(もろずみ・はやし)監督と西出仁明(のりあき)コーチの研究室はお祝いの花で埋まり、西川雄一朗主務(4年)曰く「優勝したんだと改めて感じました」という。選手たちは大きな壁をブレイクし、出雲以降は自信に満ちたレースを展開するようになった。



出雲全日本大学選抜駅伝で10年ぶりに王座奪還し、喜ぶ東海大の選手ら

 実際、出雲駅伝優勝直後の記録会では青学大との一騎打ちとなった塩澤稀夕(きせき/1年)が意地を見せて競り勝ち、1位になった。その後、高島平ロードレース(20km)では川端千都(かずと/4年)が59分30秒で優勝。さらに10月21日に行なわれた平成国際大学長距離競技会の1万mでは塩澤が快走し、学内トップとなる28分36秒15の自己ベストを出した。出雲に出場できなかったふたりが、しっかりと結果を出したのだ。

 この日、ポイント練習のために全日本大学駅伝登録メンバーが集まった。久しぶりに出雲駅伝優勝メンバーとも顔を合わせたが、出雲前とはやはり雰囲気が違う。勝ったことでチームの背骨に太い芯が通り、個々の選手からはもちろん、チーム全体に揺るぎない自信みたいなものを感じる。

「今シーズン、夏合宿をはじめ、スピード強化を含めてやってきたことが形になり、出雲優勝という結果として出ているので選手は自信になったでしょうし、チームのトレーニングのやり方としても自信になりましたね」

 西出コーチが穏やかな表情で、そう話す。

 春日千速(4年)キャプテンが夏前、「うちは勝てる自信があるけど、勝ち方を知らない。ひとつ勝って勝ち方を知れば、もっと強いチームになる」と語っていた。その勝ち方をひとつ得たことで拠りどころのなかった自信がリアルになった。東海大学が勝つ集団になるために足りない”勝者のメンタリティー”という最後のピースをようやく得たのだ。

「今日は、みんな若干ピリピリしていますね」(西出コーチ)

 ポイント練習で追い込むので選手自身がその厳しさを察しているせいもあるが、全日本に出走するためにチーム内競争が一段と熾烈になり、お互いに負けられない意地がバチバチと衝突しているからでもある。

 全日本のメンバーは出雲の登録メンバー10名プラス湊谷春紀(3年)、西川雄一朗(2年・主務の西川とは別人)、中島怜利(2年)が登録された。

 湊谷は10月1日の札幌マラソンハーフで優勝。平成国際大記録会の1万mでも29分12秒15と調子を上げてきている。この日は養護実習で練習に参加できなかったが、長距離が得意な湊谷が入ってきたことでオーダーの幅が広がった。

 中島は今年、箱根駅伝6区でデビュー、この夏は実業団の練習に参加し、距離を踏んできた。高島平ロードレースでは59分35秒の自己ベストで川端に次いで2位になるなど、長い距離が得意だ。

 西川は白樺湖合宿では腰痛を訴えていたが復調し、9月30日の世田谷記録会では5000mで13分56秒01の自己ベストを出した。ポテンシャルが高く、両角監督が成長を期待している選手のひとりだ。

 全日本は出雲より2区間増えて8区間になる。距離は8区が最長で19.7kmになるなど、各区間とも出雲のほぼ倍の距離を走ることになるので、長距離に強い選手の力が必要になってくる。

 ポイント練習は3000m、6000m、3000mで設定タイムがあり、ペース走がつく。6000mでは途中で川端から關颯人(せき はやと/2年)にペース走が入れ替わり、ぐんぐん引っ張っていく。途中で阪口竜平(2年)が遅れたが、他選手はしっかりと走り切った。最後の3000mは國行麗生(4年)がペース走で引っ張り、ラスト1周はフリーになった。すると鬼塚翔太(2年)がサッと前に出てきた。そのスピードは圧巻で、そのまま8分21秒でフィニッシュ。後続も鬼塚から5秒内で続いて走り終えた。選手はゴール後、そのままトラックに倒れ、あるいは座り込み、一様に「きっつー」を連発している。

 昨年はこの段階での練習で力を出し切ってしまい、その後、体調を崩す選手が出たことで全日本は苦戦を強いられ、シード落ちという屈辱を味わった。そのために今回のポイント練習は調整として出力を抑え、西出コーチ曰く「気持ちよく終わらせる」ようにしている。昨年の痛い経験から得たひとつの教訓だ。

 阪口をのぞく全員が集団から離れることなく走り終えた。全体的に選手の仕上がり具合がすごくいいのが見て取れる。

「出雲が終わって出走した選手は、次の1週間は軽いジョグで終わらせたので疲労感はないと思います。次の2週間は普段通りのトレーニングで、1週間前の土曜日からポイント練習をスタートしました。今のところ大きな故障者が出ることもなく、いい感じで来ています。今日は阪口が遅れたけど、それほど心配はしていません。あとは直前合宿でどうなるか、ですね」(西出コーチ)

 走り終えた選手はゼリー飲料を飲み、着替えるために移動する。汗で濡れたシャツを脱ぎ、クールダウンするためのウエアに着替える。

「鬼塚くん、いいですねー」と振ると、西出コーチが表情を崩した。

「鬼塚は、こう(よく)なるだろうなって思っていました。大分のレース前は館澤(亨次/2年)とふたりで結構いい練習ができていたけど、ちょっとやり過ぎだったんです。それで大分はタイム的には今ひとつだったんですけど、出雲が終わってしっかり練習ができていたので今、上がってきているな、動けているなって感じですね」

 確かに10月21日の大分でのレース(5000m)は、鬼塚、館澤ともに平凡なタイムに終わった。らしくないと言えばそうだが、あれから1週間が経過し、調子が上がっているのだろう。鬼塚自身も「いい感じで来ています」と表情が明るい。

 ナイキのシューズとの相性もいいようだ。カーボンプレートが入った革新的なシューズである『ズーム ヴェイパーフライ4%』は今、多くのランナーの間で注目を集めているが、鬼塚もその性能には驚くことが多いという。

「僕のように跳ねて走る選手には合っていると思います。前に押し出して身体を運んでくれる感じなので、疲れていても踏むだけで前に進む感じになります。今までのシューズの概念と違うし、すごいなって思います」

 隣で着替えていたい塩澤も同シューズを履いている。

「平成国際の(記録会の)時は雨だったのでスパイクを履いていたんですが、今日のポイント(練習で)は(ズーム ヴェイパーフライ4%を)履きました。前への推進力をすごく感じて、勝手に前に進むというか、すごいですよ。合う人には、最高の武器になると思います」

 好調を維持しているせいか、言葉に張りがある。出雲では出番がなかったが、今では西出コーチが「好調で順調」というほどで、1年生ながら実力が抜けてきている。

「好調の要因ですか? やはり夏合宿の効果が出てきたのかなと思います。全体的にも出雲から調子が上がってきていますし、その流れにみんなが乗っていい効果が生まれていると思います。今日も平成国際の後、初めてのポイントだったので、やばいかなって思っていたんですが意外と走れて、調子いいなって思いますね(笑)」

 笑顔の表情は、あの時とはまるで異なっている。出雲駅伝後の記録会、塩澤は少しピリピリしていた。出雲を走れなかった現実を受け止め、自分の気持ちと折り合いをつけようとしていたのだろう。だが、レースに出走することに懸けてきた分、簡単には受け入れられないし、目の前の記録会は待ってくれない。走る以上は青学大の選手と戦い、彼らには負けたくない。いろんな感情が渦巻いて、それが表情にうっすらと出ていた。

 結果、レースではトップを勝ち取った。さらに平成国際大記録会の1万mでもしっかりと結果を出した。区間は未定だが、塩澤は全日本に出走するチャンスを自らの手で掴み取ったのである。

「次(全日本)は自分が絶対に走る。出雲が終わってからそれだけを考えてやってきました。走る区間のイメージは比較的アップダウンの少ない3区か5区がいいかなと思いますが、どこの区間を任されてもしっかり走りたい。走ったら区間賞を狙っていきたいですね。出雲では走った選手と補欠の選手では扱いがだいぶ違うな、と思ったので、今度は自分が走って、勝って、ゴールの時の優勝の輪の中に入って、喜びたいと思っています」

 冷静に話をする表情は1年生とは思えない、何だか貫禄すら感じてしまう。ルーキーデビューとなる全日本での走りに期待値は上がるばかりだ。
 
 出雲でアンカーとしてゴールラインをトップで切った關も好調を維持している。出雲後は大分のレースに出場した鬼塚や館澤とは、ちょっと異なるスタンスで練習に取り組んできた。

「出雲が終わって全日本までの4週間を1週間、2週間、1週間と分けて、最初の1週間は出雲の疲労があったので少し休みました。次の2週間は全日本に向けてというよりは、その先にある上尾シティハーフ(11月19日)に向けて、しっかり走り込んでおこうと思い、長めの距離を走るようにしていたんです。みんなよりもちょっと距離を多く走ったり、秦野での練習の時は車での送迎があるところを走って往復したり、そういう細かいところで他の選手よりも距離を踏んでいました」

 關が「ハーフ」にこだわるには理由がある。

 かねてから1500m、5000m、1万mとあらゆるレースに対応できる選手になるのが關の目標だった。実際、關は1500mでは3分42秒08という東海大記録を出し、5000mでは7月に13分35秒81、1万mでは9月の日体大記録会で28分23秒37を出している。唯一未踏の地がハーフなのだ。

「1500mから5000mまで取り組んできて、1万mもだいぶ走れるようになったんですが、ハーフの20km以上は箱根しか走っていないんです。今のままだと20kmを走れないと思われてもしょうがないんで、上尾で記録を出して、そういう声を見返してやりたいですし、箱根駅伝に向けて、自分も手強い選手のひとりだというのをアピールしていきたいと思っています」

 關の”長距離化”は順調に進行しているようだ。もともとスピードがあり、これにタフさと長距離を走れる走力、さらにペース変化への対応力がつけばオールラウンダーとしてずば抜けた選手になるだろう。

 ただ、關には今回、すべきことがひとつある。

 昨年、全日本駅伝では出走する準備をしていたが体調を崩し、出場を断念した。そのため、区間の配置換えで混乱が生じ、選手たちは実力を発揮できないまま8位でシード権を失った。そのシードを取り返すための今年6月の予選会、關は自らの責任を感じて走り、出場権を獲得したという経緯がある。昨年の過ちを繰り返さないように、今年はしっかりと走り、結果を出すことが求められる。

「レースへの不安はないです。あとは体調を崩さないようにするだけですね。昨年、油断があったかどうかはわからないですが、結果的にそう見られてもしょうがない状況だった。今年は足元をすくわれないように基本的なことからしっかりやって、万全の状態でスタートラインに立てればと思っています。とりあえず手洗い、うがいは徹底してやっています。あと、キムチをよく食べています」

 そう言って笑顔を見せた。その表情を見て、ふと思ったのだがテレビドラマ『陸王』に出演している竹内涼真に何となく似ている。關は「いやいや」と苦笑して否定していたが、背格好も同じだ。もともと關は鬼塚とともに人気があり、出雲の表彰式後もサインや写真撮影を求める大勢のファンが列をなしていた。「鬼塚の人気がすごくて、僕は鬼塚のついででくる感じです」と關は謙遜するが、出雲路をアンカーとして快走した勇姿は多くのファンを生んだはずだ。それに元々注目されるのが嫌いじゃないタイプでもある。

「そうですね(笑)。注目され、応援されることは自分を見失うことがなければ、いいことだと思います。アンカーを志望したのは注目されたい気持ちも多少あったので(笑)」

 実力も人気も急上昇中の東海大にあって、關と鬼塚の2トップは、まだまだ強烈だ。全日本でも彼らがレースを作ってくれるはずだ。

「自分は前半の主要区間で走って、しっかり流れを作りたい。青学大も強いと思いますけど、全日本は自分たちも十分に戦えるので自信を持って挑みたいと思います」

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 練習が終わり、昼食を食べるために選手が散開した。チームは、31日に滋賀県に移動して合宿に入り、大会前日に2グループに分かれて大会現地に入る。果たして全日本は、どういうレースになるのか。

「うちはスピードだけだって言われるけど、スピードがあれば押し切ることもできる。実際、塩澤は長い距離を走っているわけじゃないですけど、しっかり10kmを走れている。スピードを磨いて、作り上げてきたものを武器にして10km以上の距離にも対応してきた。そこで距離を踏んできた青学さんと、どう渡り合えるか、ですね。それが試されるのが全日本です」

 西出コーチは”楽しみです”と言わんばかりの表情を見せた。

 一度味わった勝利の味は、再び勝たないかぎり味わえない。そこにどれだけ貪欲になれるか。「黄金時代の到来」という本物の風を陸上界に吹かせるためには、全日本は譲れないタイトルである。