サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、9月3日、7日に行われたルヴァンカップ準々決勝でも採用されている試合方式「2レグ制」について。

■ルヴァン杯でも採用「2レグ制」の起源

 なんの競技だっただろうか。何年も前に、スポーツニュースから「第3レグ」という言葉が耳に飛び込んできて、「ちょ、ちょっと待って!」と、つぶやいてしまった。人間の足(レグleg)は、2本のはず。「第3の…」などと言うと、いきなり卑猥なイメージになる。

 9月3日水曜日と7日日曜日に行われたJリーグルヴァンカップの準々決勝。「湘南ベルマーレ×サンフレッチェ広島」、「横浜F・マリノス×柏レイソル」、「浦和レッズ×川崎フロンターレ」、そして「横浜FC×ヴィッセル神戸」の4カードが、それぞれホーム・アンド・アウェイの2戦制で、準決勝進出を争った。このような形式を「2レグ制」とも呼ぶ。2つの試合を、2本の足に例えたのである。ルヴァンカップでは、プレーオフラウンドとこの準々決勝、そして準決勝が「2レグ制」で開催される。

「2レグ制」の発明者は、第二次世界大戦前のオーストリアの名選手/名監督として知られたフーゴー・マイスルだと言われている。オーストリア、チェコスロバキア、ハンガリー、イタリアなどのクラブに呼び掛けて、1927年に欧州で初めての長期的なノックアウト方式の国際大会「ミトローパカップ」をスタートさせたとき、公平になるように2戦制とし、各ラウンドの2試合をそれぞれ「第1レグ」「第2レグ」と呼ぶことも決めたという。

 その方式を第二次世界大戦後の最初のイングランドFAカップ、1945/46シーズンの大会がまね、後に「ミトローパカップ」の後継大会とも言うべき「欧州チャンピオンズカップ」に引き継がれた。

■1戦制なのに「6試合」必要なことも

 それまでは、各ラウンドが「ホームかアウェイ」の1戦制で行われていたFAカップ。引き分けで「リプレー」を必要とするカードが多く、日程的に非常に難しくなっていた。なかには、勝ち上がりチームを決定するまで6試合を必要としたことまであった。そこで1945/46シーズンの大会で実施されたのが「2戦制」だった。

 1945/46シーズンのFAカップでは、予選ラウンドは1戦制だったが、115クラブが出場した「本選」は、1回戦から6回戦まで全部で111カード(222試合)が「2戦制」で行われた(準決勝と決勝は中立地での1戦制だった)。その結果、リプレー、すなわち2戦を終えても決着がつかず、3試合目を必要としたのはわずか3カード、全体の2.7%と、非常に少なく、安定した日程で開催することができたのである。

 ただしFAカップが「2レグ制」で行われたのは、残念ながら1945/46シーズンの1回限りだった。このシーズンにはまだフットボールリーグが再開されておらず、FAカップだけがプロクラブの主要大会だったからだ。翌シーズン、リーグが再開されると、FAカップは再び1戦制となり、リプレーがたくさん生まれて日程を混乱させた。

■収入の面でも「必然だった」2レグ制

 1955年に始められた「欧州チャンピオンズカップ」では、中立地での決勝戦以外は「2レグ制」とされた。現在の「チャンピオンズリーグ」と違い、当時は全ラウンドがノックアウト方式だったからである。航空機を用いたとはいえ、長距離の旅行を必要とするアウェイチーム、しかも慣れない外国のスタジアムでの試合は、大きな不利となる。試合からの収入の面でも、「2レグ制」は必然だった。

 そして、このシーズンの14カードすべてが、2戦で決着がついた。以後「2レグ制」は世界に広まった。

「チャンピオンズカップ」で2戦では決着がつかず、初めてリプレーが行われたのは、2シーズン目の1956/57シーズン。1回戦の「レンジャーズ(スコットランド)×ニース(フランス)」、そして「レアル・マドリード(スペイン)×ラピッド・ウィーン(オーストリア)」の2カードだった。抽選によりリプレーはパリとマドリードで開催され、ニースとレアル・マドリードが勝って2回戦に進んだ。

■ビジターチームが「守備重視」のプレー

 だが、数年すると「2レグ制」の弊害が議論されるようになる。アウェイで引き分け、ホームで勝てば勝利となる「2レグ制」。ビジターチームが極端な守備重視のプレーを選択するようになったのだ。アウェイでは失点さえしなければOKというサッカーは、しばしばホームチームのファンからのブーイングを浴びた。

 そこで考案されたのが「アウェイゴール・ルール」だった。2試合目の90分間を終わって合計スコアが同点の場合、アウェイでの得点数が多いチームを勝ちにするという方式で、欧州サッカー連盟(UEFA)が1965/66シーズンの「欧州カップウィナーズカップ」で初めて採用した。

 2回戦の「デュクラ・プラハ(チェコスロバキア)×ホンベド・ブダペスト(ハンガリー)」は、プラハで2-3、ブダペストで1-2といずれもアウェイチームが勝ち、2試合合計4-4となったが、アウェイゴール・ルールでホンベドが準々決勝に進んだ。ちなみに、「2試合合計得点」は英語で「アグリゲートaggregate」と言い、アクセントは最初の「ア」に置かれる。「集合」「総計」といった意味である。

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