<文部科学大臣杯 第77回 全日本大学準硬式野球選手権大会: 中央大5-2立教大>◇24日◇決勝◇札幌市円山球場 大学準…
<文部科学大臣杯 第77回 全日本大学準硬式野球選手権大会: 中央大5-2立教大>◇24日◇決勝◇札幌市円山球場
大学準硬式の日本一を決める文部科学大臣杯 第77回 全日本大学準硬式野球選手権大会(以下、全日大会)。大会連覇を目指した中央大は、決勝戦で立教大を5対2で下して連覇を達成した。
「2連覇の重圧があったし、日ごろの厳しい練習がやっと報われた」と連覇へのプレッシャーと戦う日々だったことを明かしたのは中央大の主将・相野 七音外野手(花巻東出身)だ。1年生からチームの主力選手として勝利に貢献。最終学年になってから主将として背番号10番をつけて戦うことになった。
昨夏に続く2年連続全国制覇へ。求められるハードルは高いなか、新チーム最初の大会は優勝を逃した。
「日本一になるためにも、まずは3月の関東選手権で優勝したかったですが、獲り切ることが出来なかった。そのおかげで課題が見つかり、今回優勝出来たと今だから言える。ターニングポイントでしたが、正直このままでいいのかと悩みました。
だから夏場の練習では雰囲気に緩みが感じられたら、『このままじゃあ勝てないぞ』とか、『簡単に日本一を口にするなよ』といったきつい声掛けばかりしてしまいました」
こうした厳しい声掛けをしたのには理由がある。相野が高校時代過ごした母校・花巻東での3年間、そして主将経験があるからだ。
「花巻東で主将をする中で『岩手から日本一』というのを掲げて練習をしてきましたが、甲子園に出ることも大変でした。だからあまり思い出したくないくらいです。ただ大所帯で言葉だけでまとめることは限界があると思ったので、『勝つためなら苦しくない。とことんやろう』と言い聞かせて行動で示す。例えばグラウンド整備は毎回最後のブラシかけをしましたし、朝練や練習の準備は誰よりも早くしてきました。
とにかくプレー以上に見られていると思って、行動し続けました。その経験があったので今も行動で示すことで、個性を発揮できるようになったと思っています」
結果として花巻東に在籍している間、甲子園にたどり着いたのは1年生の夏のみ。残りは甲子園に届かず、自身最後の夏は決勝戦で盛岡大付の前に敗れた。その悔しさを含めて、相野にとって主将として、もっといえば3年間の経験が生きているというのだ。
そんななか、恩師・佐々木洋監督のある言葉が支えになっているという。
「失敗したらおめでとう、怒られたらありがとう。この言葉は今も大切にしています。失敗したら落ち込むし、怒られたら何だろうと思いますが、失敗は成長する近道ですし、怒ってくれるのは期待してくれているからであり、社会に出れば怒ってくれる人は少ないから、大切にしてほしい。これを監督が教えてくれたので、今も大事にしています」
その言葉を胸に「負けからの這い上がりです」と相野は表現したが、3月の大会での敗戦からチームを立て直して、全日大会に出場。優勝までたどり着いたわけだが、そもそも準硬式には来たのはどんな理由があったのか。
「大学野球でも硬式野球をやる気持ちはありました。ですが、本気になって日本一を目指す環境が、中央大の準硬式にはあると監督に言われましたし、見学をして感じました。
また野球する以前に、人間性の部分が次につながると思ったんです。野球がすべてではなく、社会で生きる力が身につけられるし、ここなら『大学で日本一になれる』と思えたので、準硬式の道を選びました」
高校で果たせなかった日本一になるために準硬式の世界に飛び込み、最後の全国大会で日本一となった。「準硬式って選手優先で枠にとらわれない。プレッシャーはあまり感じることなく、準硬式だからできることが多いと思います」と語った相野の表情は、充実感に満ちていた。
秋季リーグを最後に引退するという相野。ゴールはまだ少し先だが、目標達成したという充実感を胸に、今度は社会で活躍する人となってほしい。