<文部科学大臣杯 第77回 全日本大学準硬式野球選手権大会: 立教大2-5中央大>◇24日◇決勝◇札幌市円山球場 大学準…

<文部科学大臣杯 第77回 全日本大学準硬式野球選手権大会: 立教大2-5中央大>◇24日◇決勝◇札幌市円山球場

 大学準硬式の日本一を決める文部科学大臣杯 第77回 全日本大学準硬式野球選手権大会(以下、全日大会)。大会初優勝を目指した立教大は決勝戦で、中央大の前に2対5という結果に終わった。

 8回裏、2死からマウンドに上がると、まずはプレートに手を添えた。「ルーティンの1つでしたが、泣きそうでしたので、気持ちの整理をしていた」と立教大4番手でマウンドに上がった伊東大夢投手(東北学院出身)は振り返った。

 打者1人だけだったが、しっかりとアウトを取った伊東。直後の攻撃で味方の反撃が届かず準優勝に終わったが、どうして泣きそうだったのか。

 「もちろん歯がゆさや悔しさというのはありましたし、同期や後輩から前日に投げてほしいと言われていました。それでも今大会はマウンドに上がって投げるつもりはありませんでした。それは『副将という立場なのに、自分のエゴ、わがままにつきあわせてマウンドに上がっていいのか』と気持ちがあったからでした。
 ただそれでも、自分がマウンドで投げている姿を見たいと言ってくれましたし、ベンチから試合を見守って来て気持ちが変わりました。そんな自分がマウンドにいることを泣いてくれている仲間がいましたし、これまでのことを思い出してしまったので、うるっと来てしまいました」

 3年生の春ごろから蓄積疲労でコンディション不良になることが増えてきて、「注射を打ちながら投げていた」とかなり深刻な状況だった。だから今回のマウンドは6月の試合以来となる登板だったが、「野球だけやっていたら得られない経験が出来たし、野球をしながらプライベートも充実出来た。何より一生の友人に出会えた」と準硬式の道に進んだことに感謝しているようだった。

 東北学院では3年の夏に甲子園に出場。その甲子園では初戦で愛工大名電に勝利したことは、当時話題を呼んだ。その勝利は伊東にとっていい思い出だったと同時に、苦しむこともあったという。

 「目に見えない周りからの協力だったり、支援だったりというのを知ることが出来て驚きましたが、そもそも甲子園に出たことがありえないことでした。正直引退したら野球から離れるつもりで戦っていたので、当時特別な思い入れは野球に対してありませんでした。ですので、名門校出身ではない自分に、『甲子園出場経験』という肩書はずっと背負わないといけないことに違和感がありました。
 またチームに甲子園経験者が少なかったこともあり、周りからの期待値が大きくて、嫌になることもありました。」

 そんな伊東を救ったのは、先輩の一言だったという。

 「川瀬(一毅)さんとは仲良くさせてもらい、食事にも何度も行くなかで、自分が悩んでいたことを相談させてもらいました。そうしたら、『大夢は大夢だから、自分のために野球をやれ』と声をかけてもらいました。それを聞いて、自分のために野球をやろうと思ってプレーするようになりました」

 この一言で伊東の中にあった悩みが軽くなり、自分のために右腕を振り続けた。途中からコンディション不良で思うような最後にはならなかったが、「学生野球最後の区切りで全国のマウンドに立ててスッキリしました」と思い残すことはないようだ。

 「準硬式は色んな選択肢があって、自分次第で何でもなれる世界なのが、良いところだと思います」

 ただ伊東の野球人生は終わらない。卒業後も社会人で継続することを望んでいるとのことで、再び硬式野球の舞台に戻るつもりだ。この決意には伊東自身も「高校時代は思っていなかったと思いますが、人生掛けて勝負したいと思う」と思いもしなかったようだが、覚悟は決まっている。

 まずはケガを完治させて、全快の状態となった伊東の活躍が聞かれることを楽しみにしたい。