今年の甲子園優勝は沖縄尚学に決まりました。改めて優勝おめでとうございます。知り合いの記者たちとの雑談で「今年の甲子園はど…
今年の甲子園優勝は沖縄尚学に決まりました。改めて優勝おめでとうございます。知り合いの記者たちとの雑談で「今年の甲子園はどの学校、どの監督さんが報われるんだろう」という話をしています。いろんな学校を取材すると、どの学校も熱い思いを持っていて、優勝をかけて朝早くから夜遅くまで活動している。その思いに差はないと思っています。
今年は沖縄尚学、日大三が報われたわけです。両校の思い出を振り返っていければと思います。
生活面で妥協を許さない比嘉監督の指導で手堅いチームに
沖縄尚学については、比嘉監督の体制を10年以上見てきました。初めて見たのが12年の明治神宮大会です。11月、雨も降る寒空の中、沖縄尚学は1対2で北照に敗れましたが、ショート・諸見里 匠内野手(元日本通運)を中心に堅守のチームでした。比嘉公也監督は当時34歳でしたが、とても落ち着きのある監督だと感じました。記者の質問には冷静に振り返っていました。同時に表情に苦労の跡も伝わってきました。比嘉監督は08年センバツで、26歳ながら甲子園優勝を経験していますが、それからはなかなか甲子園にいけない日々を過ごしていました。
12年秋、九州大会優勝を果たし、センバツ出場も確定させ、久しぶりの甲子園を決めた沖縄尚学。当時から堅守のスタイル。今後も強くなる予感がしました。
13年秋は決勝戦で日本文理との打撃戦の末、明治神宮大会優勝を決め、琉球トルネードと呼ばれた山城 大智投手(トヨタ自動車)、安里 健内野手(スリーボンド・軟式)など投打にパワフルな選手を揃え、年々、選手の力量も高まっている感じがしました。
『高校野球ドットコム』では地元ライターらを通じて、沖縄尚学を取材してきましたが、比嘉監督の指導は生活指導に厳しく、赤点は許さない。過去の取材で比嘉監督はこう答えています。
「まず入学してきたときの彼らから感じることは、野球をやりに来ているという思いが強い。その思いは大事なのですが、それしか頭にない分、中には勉強を疎かにしがちな部分もあります。そういうことがある選手は、沖縄尚学では練習には参加出来ません」
また、比嘉監督の受け持つ教科は社会ですが、他の教科で成績が悪い選手がいると、その教科の先生に、比嘉監督自らが頭を下げて補習など行うこともあるようです。最終的に追試的なテストを受ける時、そのときは比嘉監督が責任者としてその選手に付き合うそうです。何かあれば、選手と一緒に付き合うのが比嘉監督です。野球は守備を基本に置き、毎年、投手を中心とした手堅い野球を作り上げました。
そうした指導力を買われて、22年〜23年の高校日本代表のコーチに就任。23年は世界一を経験しました。帰国後の会見で、馬淵史郎監督は投手のローテーションは比嘉コーチに任せ、その手腕を評価していました。比嘉監督は大阪桐蔭・前田 悠伍投手(ソフトバンク)を決勝戦で投げることを逆算して、ローテーションを組んで、投手陣にアドバイスをしていました。
比嘉監督に惹かれて沖縄尚学入学を決めたのは、末吉 良丞投手(2年)でした。末吉投手以外にも、新垣 有絃投手など有望な投手が入部し、昨秋は圧倒的な戦力で九州大会優勝を収め、この1年、躍進が期待されました。
苦しい戦いが続きましたが、ついに初の優勝を収めました。比嘉監督の試合展開を読んだ打順の組み換え、末吉投手、新垣投手の継投のタイミング、投手運用が見事でした。
今の沖縄尚学は10年前に初めて見た時と比べると、投打ともに選手の水準が上がっています。興南、エナジックスポーツなどライバルの台頭もありますが、これから黄金時代に入る予感はあります。
三木監督の選手を信じる采配で選手の潜在能力が開花
日大三は長年、東京都大会、夏の大会で見てきているチームです。14年ぶりに甲子園決勝まで勝ち進み、とても嬉しい気持ちと驚きでいっぱいです。
三木有造監督は部長時代からお世話になっている方です。三木監督はもう一つの役職があり、それが東京都高野連の理事として、西東京の球場担当をしていました。春、秋の都大会では高野連の仕事を行う三木監督に出会うことが多かったです。よく声をかけてもらい、筆者自身もお世話になりました。
すべての試合が終わり、球場での仕事が終わると、一生懸命に仕事をこなした野球部員たちに労いの声をいつもかけていた姿が印象的でした。
三木監督は、選手の力を引き出すために、いろいろ尽力していました。2年前、甲子園に出場した時、力みがちだった大型スラッガー・針金 侑良外野手(桜美林大)については「この体なのだから、思い切り振る必要はなく、しっかりと当てれば飛んでいく」というアドバイスから、針金選手は西東京大会で2本塁打、9打点の活躍でチームの優勝に貢献しました。
また今年の4番田中 諒内野手(2年)には自分の結果を引きずることがあったようですが、そこを指摘して、チームのために打つという心がけに変わると、西東京大会準決勝・八王子戦で、サヨナラ本塁打を放ち、甲子園でも2本塁打を放ちました。三木監督は「打席内で一喜一憂しなくなった。彼はヘッドスピードが非常に速いんです」と絶賛しました。
選手の特性を見抜き、起用する選手を信じる采配は今大会で生かされます。大会前では、強力打線で援護し、エース・近藤 優樹投手(3年)が粘り強く投げて守り切るチームとして見ていました。2回戦、3回戦では、近藤投手が2試合連続で完投勝利を収め、戦前通りの戦いでベスト8まで勝ち進みました。準々決勝以降では投手運用が変わります。準々決勝では山口 凌我投手(3年)、準決勝では根本 智希投手(2年)、決勝では谷津 輝投手(3年)と違う投手が先発し、前半で試合を作り、後半に近藤投手がリリーフするゲームプランに代わり、それがきっちりとハマりました。三木監督は先発起用に迷いがなかったといいます。
この起用を正解にさせた投手陣たちが素晴らしかったと思います。惜しくも準優勝に終わりましたが、今年の日大三はタレントがいるチームではありません。
7年前、甲子園ベスト4に進んだチームや、甲子園優勝した11年には、140キロ後半の速球を投げる投手や、本塁打を量産するスラッガーが揃うチームでしたが、今年はそういう選手たちがいなくても、甲子園で勝ち進めたのは、日大三にとって大きな財産になったと思います。チーム力で勝つ。積極的な走塁、選手の特性を掴んだ采配と、進化が見えた夏だったと思います。
大きな成果を残した沖縄尚学、日大三。これから厳しいマークを受けながら、秋の公式戦を迎えることになりますが、重圧を乗り越え、来年も高校野球ファンを驚かせる強いチームを作り上げることを期待しています。