(23日、第107回全国高校野球選手権大会決勝 沖縄尚学3―1日大三) 日大三は一回、1死二塁から本間の適時二塁打で1点…

(23日、第107回全国高校野球選手権大会決勝 沖縄尚学3―1日大三)

 日大三は一回、1死二塁から本間の適時二塁打で1点を先制した。

 沖縄尚学は直後の二回、2死二塁から阿波根の左越え二塁打で同点に追いつき、六回は2死二塁から宜野座の左前適時打で1点を勝ち越し。八回は2死二塁から宜野座の中越え二塁打で加点した。

 投げては先発の新垣有が8回途中1失点の好投。エース末吉も無失点で締めくくった。

 優勝が決まった試合後、取材に応じた沖縄尚学の監督、ベンチ入り選手20人、記録員の言葉を紹介する。

■比嘉公也監督

 「優勝を狙っていたわけではないので、とにかく不思議な感じ。ノーサインで走ったり、バントで進めたり、自分たちのアイデアでやるところはやる、という普段通りの野球ができていた」

 「新垣有が状態を上げていたので決勝は新垣有と決めていた。でも八回までくるとは思わなかった。新垣有の好投につきる」

■末吉良丞投手(2年、背番号1)

 「(八回の救援登板は)決勝の舞台で投げたくて、ワクワクした気持ちでマウンドに上がった。新垣有には『後は任せろ』と伝えた。疲労もピークにあったが、最後は無失点でよかった。最後まで堅い守りで頼りになる先輩方だった」

■宜野座恵夢捕手(3年、背番号2)

 「(3安打2打点の活躍について)4番に置いてくれた比嘉先生からの期待に、うまく応えられてよかった。初球から振る姿勢や思い切りの良さがよかった」

 「守備では、初回で1点とられた後、ゼロに抑えられたのがよかった。新垣有、末吉とも、今日も強気のピッチング。八回の継投は『七回からはランナーが出たら交代する』と言われていたので予定通り。九回のピンチでは『1点は仕方ない』と末吉に伝えたが、そこでゲッツーがとれたのはよかった」

■新垣瑞稀一塁手(3年、背番号3)

 「最後のボールをつかんだのはとてもうれしかった。みんなでマウンドに集まった時もめちゃくちゃうれしかった」

 「(先発した弟の有絃は)普段はおとなしいが、ピッチャーになると頼りがいのある弟。小さい頃からおとなしいが、マウンドに立ったら性格が変わる。決勝という大舞台で、先制点を取られたけど、そこから粘りの投球をしてくれて、とてもよかった」

■比嘉大登二塁手(3年、背番号4)

 「もううれしいの一言しかない。自分は大会を通してエラーはゼロで、ピッチャーを支えられた」

 「山梨学院戦では全体的にエラーが重なり、反省はあったが、結果として勝てたので言うことはない。苦しい展開ばかりだったが、全員が一つになって勝ち取った優勝だ」

■安谷屋春空三塁手(3年、背番号5)

 「先制されたが、劣勢でも逆転する力をこの夏で身につけた。2年生投手が頑張っているなかで、3年生の意地で点を取れたところが良かった」

 「楽しんで勝つ、という意味で、甲子園入りしてから帽子のつばに『楽勝』と書いた。毎試合楽しくて、最後に優勝できて、本当に楽しい甲子園だった」

 「個人としては良い打撃ができなかったので悔いが残る。甲子園で全国レベルの投手を見ることができて、自分の課題も明確になった。この経験をいかして次のステージでレベルアップしたい」

■真喜志拓斗主将・遊撃手(3年、背番号6)

 「(最後に難しい打球を処理した)初回は自分の送球ミスから始まった。最後も自分の所に飛んできたので、意地でもアウトを取ってやろうという気持ちだった。最後はキャプテンが締めたいと思っていたので、理想の打球をさばけて良かった。目指してきた日本一を達成できて非常にうれしい」

 「先制されて嫌な展開だったが、先発の新垣有がふんばってくれたし、打線は宜野座が4番の役割を果たしてくれた。軸となる人が役割を果たせたと思う」

 「(お母さんは今日が誕生日)あまり考えすぎると良くないと思っていたが、終わってみれば最高の誕生日プレゼントにできた。お母さんに金メダルをかけてあげたい」

■阿波根裕左翼手(3年、背番号7)

 「(二回の同点打は)芯で捉えられた。相手に先行され、早く追いつきたかったので、2死から適時打が打てて良かった。なかなか調子が上がらなかったけど、決勝で打ててうれしい」

■宮城泰成中堅手(3年、背番号8)

 「(六回の二盗は)あそこはタイミング的に(相手投手が)投球に入ると思っていた。ちょっとギャンブル的なスタートになったがよかった。相手投手のモーションや牽制のタイミングは、ホテルでみんなで動画を全部見ていました」

 「(打撃は)今まで当たりはいいが野手の正面にいっていた。決勝の舞台で何とか1本を打ちたいと思っていて、決勝点につながる1本が打ててよかった」

■伊波槙人右翼手(3年、背番号9)

 「(九回のバント安打は)過去の分析で三塁より一塁の方が成功する確率が高かったので、狙ってうまく転がせた」

 「1、2回戦はヒットが出ず苦しかったが、何とか出塁しようと工夫し、バントやしぶとい打撃ができた。甲子園は歓声がすごく、楽しかった」

■新垣有絃投手(2年、背番号10)

 「自信のあるスライダーが高めに浮いていたが、緩い変化球を使いながら、内角の真っすぐを使えた。(四回2死満塁のピンチは)自分(の失策)でつくったピンチだったので、ギアを上げながらも平常心で投げた。来年も同じ景色を見られるように頑張る」

■嶺井駿輔選手(3年、背番号11)

 「去年9月に心筋炎になって、手術、入院することになった。立ち直れないくらい苦しかったが、メンバーみんながビデオ通話をしてくれたので自分も頑張れた」

 「今こうやって野球ができるのもみんなのおかげ。みんなの支えがあってこの舞台に立てたので、みんなには感謝しかない。宜野座は一番仲が良くて、良きライバルでもある。自分が出られなくても、宜野座が活躍したことが一番うれしい」

■山川大雅選手(2年、背番号12)

 「最初は苦しい展開になると思ったが、沖縄尚学の粘り強さがあったから逆転できた。3年生との最後の夏を日本一長くして、優勝できてとてもうれしい」

 「3年生は普段の練習から引っ張ってくれる頼りがいのある先輩。この経験をいかして自分たちの代でも甲子園に戻って優勝できるように頑張りたい」

■田淵颯士郎選手(3年、背番号13)

 「甲子園に来てから、比嘉先生から伝令としての役割を与えられた。九回のピンチでは、『攻めた中でのミスだから気にせず切り替えよう』という言葉を伝えた」

 「僕は兵庫県出身で、実家から遠く知り合いもいない沖縄での生活は不安だった。先生からは、野球だけでなく人としての生き方を教えてもらった。ここに来てよかった」

■志良堂清京選手(3年、背番号14)

 「人生で一番うれしい。ベンチから、どんな場面でもずっと声を欠かさず、全員で得点をあげていく気持ちを心がけた」

 「沖縄大会から、2年生投手2人の活躍で勝ち上がったが、3年生がもり立て、チームとして強くなれた。もちろん試合に出たかったが、野球を続けていて本当によかった」

■田中彪斗選手(3年、背番号15)

 「めっちゃうれしい。三塁コーチとして、今日の攻撃では逆転したときも追加点をとったときも、一度も腕を回すことをためらわなかった。三塁側アルプスからの大声援を近くで受けることができたが、本当に力強くて頼もしかった」

 「(阪神元内野手で現コーチの)父からは決勝前日、『最後の試合に悔いのないように頑張れ』とラインが来た。阪神にもぜひ優勝してもらいたい」

■屋我尚輝選手(3年、背番号16)

 「優勝できてうれしい。優勝旗がこんなに大きいんですね。自分は一塁コーチとして、三塁コーチの田中と一緒に積極的に走塁面の練習を磨いてきた。その走塁の部分で結果が出せてよかった」

 「(六回の宮城の二盗は)相手投手や捕手を考えると、盗塁を狙えるだろうとチームみんなで話していた。サイン通り自分の役割が果たせて本当によかった」

■山城大夢選手(3年、背番号17)

 「自分は試合に出ていないが、みんなをサポートをするために声掛けや準備を頑張ってきた。甲子園で一番しんどかったのは、タイブレークになった3回戦の仙台育英戦。あそこを勝ちきってから、みんなが一番成長したと思っている」

 「(大歓声は)昔から沖縄勢への応援はすごくて、自分たちが高校生になって、あの応援をされると思っていなかった。本当にうれしかった」

■田場典斗選手(2年、背番号18)

 「監督からは『(新垣有と末吉の)2人の投手が崩れた時はいつでも行くぞ』と言われていたので、もしもの時は助けるぞという思いだった」

 「今回優勝して、新チームになってから注目されると思うが、自分たちの野球を磨いていきたい。(決勝を投げた)2人の投手は同じ2年生。すごいなと思いつつ、自分も追いついて追い越していきたい。切磋琢磨して、投手陣みんなで頑張って、また来年ここに帰ってきたい」

■大城諄来選手(2年、背番号19)

 「今は実感がないが、優勝の瞬間に自分もメンバーとして立ち会えて幸せ。末吉と新垣有が活躍する中、自分も投げたい気持ちもあったが、まだまだで悔しいという気持ちもある。新チームになったら自分も彼らに追いつき、追い越して活躍したい」

■玉那覇宝生選手(2年、背番号20)

 「バッテリー中心に守って最少失点で抑え、打線はつながりができた。打席に立つ選手の顔を見て声をかけるなど、ベンチでは積極的な声かけを意識した」

 「来年は自分も、末吉も新垣有も残るので、絶対甲子園に戻って2連覇することを目標にしたい」

■山内啓司記録員(3年)

 「父も兄も沖縄尚学出身。まさか最後の年に優勝できるとは思っていなかった。先制されても投手は崩れることなく、次の回で1点を取り返した。苦しい展開でも自分たちの野球ができていた。自分は日頃のサポートでチームに貢献できた」