5日に開幕した夏の甲子園も、ベスト4まで出揃った。21日の準決勝では山梨学院と沖縄尚学、県岐阜商と日大三という2試合が予…

5日に開幕した夏の甲子園も、ベスト4まで出揃った。21日の準決勝では山梨学院と沖縄尚学、県岐阜商と日大三という2試合が予定されている。決勝戦進出、そして悲願の全国制覇へ、どのチームも譲れない思いがあるだろう。

 そんな誰もが夢見る全国制覇を昨夏の甲子園で成し遂げた元京都国際・中崎 琉生投手は、決勝戦の甲子園のマウンドは、それまでの試合と雰囲気が違ったと振り返る。

 「1球の空振りなど、1球ごとに大きな歓声が上がっていました。ですので、やってきたことを出せるようにしましたし、今まで以上に1球の重みを大事に、気持ちを込めて投げました」

 その成果もあり、3回まではパーフェクト。関東第一に隙を見せない。4回に初ヒットを許したところで主砲・高橋 徹平との対決では「三振に抑えて流れを持ってくる」と最も気持ちを込めて左腕を振り切った。結果、空振り三振に斬って取ることに成功。相手に流れを渡さなかった。

 その後も好投を続けて9回無失点。エースにふさわしい投球を披露した。中崎自身のなかでも「(9回まで無失点に抑えることに)責任感を持っていた」ということもあり、やるべきことはできたと納得のピッチングだった。ゆえに10回のところで代打を送られ、降板することになった時は「ほっとした」という。

 「準決勝の悔しさから自分の納得できる投球ができたっていうことで納得していた。やり切った感があって、あの場面で交代と言われてすんなり受け入れてしっかり仲間を応援しようと思いました」

 もちろん中崎は気持ちを切っていなかったので、「(10回表に)2点取ってくれるとわかっていたらマウンド上がりたかったです」と今だからこそ少し後悔していた様子。だが一方で「春から西村とマウンドを守ってきたので、西村(一毅)に託せてよかったし、最後まで2人で守れて良かった」とも振り返る。

 そんな中崎が見た優勝の景色はどんなものだったのか。

 「周りにつられてマウンドに走ったところがあって、最初は優勝したという実感はありませんでした。ただ少しずつ嬉しさがこみ上げてきました。
 また甲子園全体が自分たちを祝ってくれているような声援の大きさで、揺れているような感覚がありました」

 中崎の語った“揺れる”感覚、実は幼い頃にも体感していたことだった。

 「夏の甲子園は、興味のある試合を外野席で観戦していましたし、事前に観戦に行くことを決めていた試合は内野席で見ていました。そのなかで作新学院、花咲徳栄が優勝した瞬間は現地で見ていましたが、そのときも甲子園が“揺れる”感じがありました。それを見ていて感動して憧れましたし、凄いと思いました」

 地元は甲子園から近かった中崎。夏の甲子園は自身にとって身近な存在だったという。だからこそ当時は憧れの目で見ていた景色を、見せる側になったことに「まさか自分が達成できるとは思わなかった」と懐かしそうに語った。

 そして少し笑みをこぼしていた表情で、中崎は夏の甲子園についての思いを話した。

 「小さいころ見ていて、『ここに行きたい、ここで投げたい、ここで勝ちたい』と夢を持たせてくれた場所でした。そこに自分が高校球児になって、そこで投げて小さい子どもや野球をやっている少年・少女に夢を与える側になったのは、自分として成長したと思います。また、いつまでも甲子園で野球をしたいと思うような小中学生が増えたらいいなと思いました」

 最後には「U-18も含めて特別な時間を特別な人たちと過ごした夏休みだった」と充実した表情であの夏を振り返った。

 母校・京都国際は残念ながら準々決勝で敗れて夏連覇は逃したが、中崎が見た頂の景色、見ることが出来るのはどのチームか。2025年の夏は最後まで見逃せない。