(19日、第107回全国高校野球選手権大会準々決勝 日大三5―3関東第一)■日大三・豊泉選手 出番がやってきたのは四回の…

(19日、第107回全国高校野球選手権大会準々決勝 日大三5―3関東第一)

■日大三・豊泉選手

 出番がやってきたのは四回の攻撃だった。1死一、三塁。「5番のところで行くぞ」。代打だ。この夏、地方大会を含めても初打席となる。

 事前に仲間から球筋を聞き、タイミングを合わせて入念に準備したから「自信はあった」。右打席から狙うは相手の最大の武器、カーブのみ。「豊泉は変化球を打つのがうまい」という三木有造監督から送り出された。

 3球連続でカーブを見たあとの5球目。外角に来たカーブを大振りせずに左前へ。先制の走者を呼び込むと、喜ぶ仲間とは裏腹に表情を変えず手をたたいた。最後の夏の最初のスイングが、打線を勢いづけた。

 1997年、堀越(当時は西東京)の捕手として夏の甲子園に出た父・裕之さんの影響で、小学校低学年のころに野球を始めた。父は初戦敗退だったが、「甲子園で大きいファウルを打ったことがある、と自慢をされたことがあります」。

 春夏3度優勝した日大三では、メンバー争いが激しく、一桁背番号は勝ち取れなかった。それでも一振りにこだわって練習をしてきたつもりだ。「1球目から芯を外さない打撃をしてくれる」と監督の信頼を得ているからこその代打だった。

 甲子園へ向けて父から言われた言葉は「自分の仕事を全うしろよ」。ブルペン捕手まで買って出て、出番を探した。「チームが勝てれば何でもいい」(高億翔)