引退会見の途中、右手で顔を抑えた中日・中田翔(C)産経新聞社 中日は8月15日、球団公式ホームページやSNSを通じて、中…

引退会見の途中、右手で顔を抑えた中日・中田翔(C)産経新聞社
中日は8月15日、球団公式ホームページやSNSを通じて、中田翔の今季限りでの現役引退を発表した。
【写真】表情には安堵と悔しさも…中田翔の引退会見の様子をチェック
球団のインスタグラムでは、紺のスーツに青色のネクタイを着用して会見場に登場した写真など、計3枚を投稿。大野雄大から花束を贈られ、中日の10選手に囲まれた様子も収められている。
文面では、引退会見での中田の談話を紹介。冒頭に「引退を決断したのは二カ月くらい前」と切り出し、「一軍の舞台で生き残るために、全力で日々野球をやっている中で、自分の満足いくスイングができない、思い通りに体が動かないというのを感じてきた中で、これ以上チームに迷惑をかけるわけにはいかないと」と引退に至った経緯が語られている。
また、「18年間のプロ野球選手生活を振り返り、北海道日本ハムファイターズで、中田翔という選手を育ててもらい、その後、読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズ。たくさんの方々にお世話になった。個人的(どこも)に大好きなチームなので、ユニホームを着る事ができて幸せでした」(原文まま)と感謝の思いを口にした。
昨オフに断行した約15キロの減量にも触れ、「昨年、体重をここまで落として、まだ何年も野球をやりたいという思いは強かったが、情けない事に回復もせず、酷くなっていく一方だと感じていました。自分自身でどうしよもできなかった」(同)と苦悩を吐露した。
さらに、「今までのプロ生活で、うまくいかなかった事の方が多かったかもしれないし、それも承知した上で野球選手を続けてきた。悔いが残るとすれば、最後に拾っていただいたドラゴンズに全く貢献できなかった事。ファンの皆さんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいで悔しい」と無念さをにじませた。
そして最後に、「ドラゴンズに来て初めてお立ち台(ヒーローインタビュー)に立った時は忘れない。あの日は特別な一日、一生忘れない。最後、ドラゴンズのユニホームで野球人生の幕を閉じる事ができるのは幸せな事だと思います」と締めくくった。
中田は2007年高校生ドラフト1位で日本ハムに入団し、3度の打点王に輝いた。21年途中から23年までは巨人でプレー。23年オフに、オプトアウト権を行使して自由契約となって中日に入団した。
移籍1年目の昨季は62試合に出場し、打率.217、4本塁打、21打点、今季はここまで25試合に出場して、打率.161、2本塁打、4打点。8月7日に出場選手登録されたが、代打で3試合に出場し、結果は3打席無安打(中飛、空振り三振、投飛)。同12日に抹消されていた。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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