(11日、第107回全国高校野球選手権大会2回戦 高川学園―未来富山) 創部8年目で夏の甲子園大会に初出場をつかんだ学校…

(11日、第107回全国高校野球選手権大会2回戦 高川学園―未来富山)

 創部8年目で夏の甲子園大会に初出場をつかんだ学校がある。富山代表の通信制高校・未来富山だ。

 夏の甲子園に出場22回の高岡商をはじめ、富山商など県立の伝統校が多い中、全く異質の高校が優勝し、県内外で注目を集めている。

 ただ、県民になじみが薄く、学校の所在地や日々どんな練習をしているのかも、ほとんど知られていない。いったいどんな学校なのか。

 未来富山の学校兼寮があるのは、富山県東部の魚津市の山間部。市中心部からも車で10分、周りは田んぼと畑だ。全校生徒24人が生活し、通信による学習と野球活動をここで並行してやっている。

 使っているのは、旧洗足学園魚津短期大学の施設。短大は1980年に開校したが、2002年に閉校。その後、施設は魚津市に譲渡され、現在、生涯学習施設など市民向け施設としても一部利用されている。

■生徒全員が「アスリートコース」在籍

 未来高校の本部は松山市にあるが、魚津市に設置された「富山中央学習センター」を拠点に、18年にトップスポーツ選手育成を目的に野球部ができた。

 アスリートコース在籍24人の生徒のうち23人が野球部員で、学校にそれ以外の生徒はいない。多くは東京など首都圏、長野県など県外出身者で占められている。富山出身者は1人だ。

 寮は短大の旧宿舎を改装し、生徒たちは2~3人部屋で生活。食事は隣接の食堂で一緒に取り、後片付けは各自で担当する。寮監、寮母が同じ建物にいる。

 松井清吾主将(3年)は「親元を離れて寮生活がしたかった」。そのほか「中学時代のチームの先輩がいた」「野球に打ち込めると思った」など入学理由は様々だ。

 学習は主に午前中、各自の部屋でプリント学習。年2回、1月と9月に本部から講師が派遣され、3週間程度、校舎で集中授業と試験をして単位を取る。大学進学をめざす選手もいる。

 練習は午後。自前の野球施設がないため、バスで近隣の町営、市営球場へ移動する。バッティングマシンなど大型機器は運搬ができないため、使うことは少ない。雨天や自主練習できる室内練習場が寮のそばにある。

■魚津の住民も期待「第2の蜃気楼旋風に」

 7月30日夜、地元のコミュニティーセンターで激励壮行会が開かれ、約150人の住民が集まった。

 角鴻太郎監督(34)は「たくさんの人が駆けつけてくれて、びっくりした」。参加者からは「魚津に学校があるのは、優勝するまで知らなかった」との声も聞かれたが、「選手が高齢者の家の雪かきなどをしてくれて助かった」という感謝の言葉も聞かれた。

 魚津といえば、1958年夏、延長十八回0―0引き分け再試合となった徳島商・板東英二と魚津・村椿輝雄の投げ合いで野球ファンには有名だ。

 この時、魚津は8強入り。地元名物になぞらえた「蜃気楼(しんきろう)旋風」は今も語り継がれており、未来富山に「第2の蜃気楼旋風」を巻き起こしてほしいと期待も高まっている。

 初戦の高川学園戦には、地元企業が中心となり、バス10台約400人の応援団が甲子園に向かう予定だ。

 松井主将は「蜃気楼旋風」を口にするようになった。角監督は「県外出身者が多いのは事実だが、『富山で、魚津で野球をやる』と決めて来てくれた選手たち。ぜひ応援してほしい」と話した。(前多健吾)