世界中のスタジアムで目にすることのある「英雄的ゲリラ」、革命家チェ・ゲバラの肖像。なぜ、サッカー場で「シンボル」として…

 世界中のスタジアムで目にすることのある「英雄的ゲリラ」、革命家チェ・ゲバラの肖像。なぜ、サッカー場で「シンボル」として使われることになったのか? サッカーと革命の「つながり」について、ゲバラの母国アルゼンチン訪問時を踏まえ、蹴球放浪家・後藤健生が考察する。

■開館10周年で「入場料」無料!

 ゲバラが4歳から暮らしたアルタ・グラシアの家は、今ではゲバラ記念館になってします。

 僕がそこを訪れたのは、2011年のコパ・アメリカ観戦のためにアルゼンチンを訪れたときのことでした。

 この大会、決勝戦は首都ブエノスアイレスのエスタディオ・モヌメンタル(リーベルプレートのホーム)で行われてウルグアイが優勝しましたが、他の試合はブエノスアイレス州の州都ラプラタやサンタフェなどで行われたので、僕は各地を回りながら観戦しました。コルドバでもブラジル対パラグアイ、アルゼンチン対コスタリカの試合を見ましたが、そのコルドバ滞在中にアルタ・グラシアのゲバラの家を訪ねたのです。

 記念館はちょうど開館10周年を迎えたところで、記念として入場料が無料になっていました(たいした金額ではありませんが、こういう偶然は本当にうれしいものです)。

 けっして豪華な建物ではありませんでしたが、白を基調にした中産階級的な瀟洒な家で、進歩的な思想の持ち主だったというご両親の趣味の良さが感じられました。

■「チェ」と並び称された「マオ」

 こんな長閑な小さな街の瀟洒な家で育った喘息持ちの少年が、南米放浪を経て革命に目覚め、革命に殉じるようになるのですから人生というのは不思議なものです。

 ところで、チェ・ゲバラの本名はエルネスト・ゲバラ。「チェ」というのはニックネームのようなものです。もともとは、アルゼンチンの方言で相手に呼びかける「おい」といった意味の言葉で、ゲバラがよく口にしていたのをキューバ人が面白がってニックネームにしたそうです(両国のスペイン語の方言はかなり違っているので、キューバ人から見たらアルゼンチンの言葉はえらく訛っているように感じられたことでしょう)。

 1960年代には「チェ」と並んで革命のシンボルとなった人物がいました。「マオ」つまり中国共産党の毛沢東(マオ・ツォートン)です。「英雄的ゲリラ」と並んで「マオ」のシルエットもシンボルとして使われました。「永久革命」を唱え、文化大革命で古い事物を徹底的に破壊した「マオ」も、「チェ」と同じような革命家として意識されていたのです。

■「本当に不思議」なアルゼンチン

 だが、その死後、マオの実態が明らかになります。農民革命に成功して1949年に中華人民共和国を建国したマオでしたが、1950年には「大躍進政策」を推し進めますが、現実から遊離したもので中国を大混乱に陥れて数百万人が餓死する事態を引き起こします。

 そして、その後、劉少奇や周恩来といった実務家たちが経済を立て直したものの、彼らから権力を取り戻すために「紅衛兵」と称する少年たちを動員して、再び中国を大混乱に陥れたのが文化大革命でした。犠牲者は数千万人に及びました。

 その実態が知れ渡るとともに「マオ」は革命のシンボルとは見なされないようになっていきます。

「チェ」と並んで、その後、世界のサッカー場で革命のシンボルとして扱われるようになったのは「ディエゴ」でした。そう、ブエノスアイレス近郊の貧民街の一つ「ビシャ・フィオリート」に生まれ、世界のサッカーシーンを席巻した後も、既成の体制に楯突きつづけたディエゴ・アルマンド・マラドーナです。

 それにしても、南米大陸南端にありながら、「チェ」や「ディエゴ」だけでなく数多くの世界的に知らぬ人のない超有名人を数多く輩出しているのですから、アルゼンチンというのは本当に不思議な国です。

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