今年、甲子園出場した明秀日立には中学時代、スーパー中学生と騒がれながらも、伸び悩みなどもあり、苦労してベンチ入りを掴んだ…
今年、甲子園出場した明秀日立には中学時代、スーパー中学生と騒がれながらも、伸び悩みなどもあり、苦労してベンチ入りを掴んだ選手がいる。それが背番号17の原 玄瑞外野手だ。
原は他の選手と違って、ずっと野球一筋ではなく、中学2年の2月まではサッカーをやっていて、中学3年から本格的に野球を始め、野球歴が短い投手だった。それでも最速141キロを誇る異色のスーパー中学生投手として数多くの強豪校から誘われた。明秀日立の練習の雰囲気に惹かれ同校の入学を決めた。
投手としての活躍を目指し、当時、所属していた宇都宮中央ボーイズの練習以外にも野球塾に通うなど入学まで週6回で練習し、投手として活躍することを目指していた。
しかし入学から内転筋の故障などもあり、速球のスピードはガタ落ち。原は「当時はフォームがわからなくなっていました」と振り返る。高校2年春に金沢監督から薦められ、外野手に転向した。もともと原は中学時代から打撃に自信があり、両打ちで本塁打を打てるほどだった。
長打力をアピールし、ベンチ入りを果たした。試合に出場できなかったが、チームのためにサポートした。この3年間、思い描いたものではなかったが、野球に対する情熱は失っていない。
「監督さんと相談することになりますが、できれば大学でも野手として挑戦したいです」
次のステージこそ表舞台でブレイクを狙うつもりだ。