(19日、第107回全国高校野球選手権大会準々決勝 東洋大姫路1―2沖縄尚学) 日が暮れかけた病院の面会室。車いすに押さ…
(19日、第107回全国高校野球選手権大会準々決勝 東洋大姫路1―2沖縄尚学)
日が暮れかけた病院の面会室。車いすに押された祖父の腕や顔は、やせ細っていた。
「野球はどうや。頑張ってるか」
東洋大姫路の大和周矢さん(3年)は祖父・利光さん(88)からの問いを遮り、話を変えた。「何もできてないから。答えられなかった」。高校1年の冬、けがで悩んでいる最中だった。
今夏の甲子園大会で記録員としてベンチに入った。小学校3年から地元・兵庫県姫路市の少年野球チームで野球を始めた。日曜日には祖父が、弟も一緒に公園でキャッチボールをしてくれた。
■相次ぐけが、野球から距離も
父は東洋大姫路の卒業生で応援団、親戚も同校野球部で岡田龍生監督と共にプレーをした。ずっと見てきた「岡田監督のもとで野球をやりたい」と、高校は東洋大姫路を選んだ。
ただ、「誰よりもけがをした自信がある」。
外野手として入部したが、数カ月でひじと肩を腕が振れないほどまで痛めた。けがの治療に専念するため1年夏から休部し、冬にはひじや肩の計4カ所の手術を受けた。
リハビリなしでは右手を動かすことができないストレス、チームに何も貢献できないことのふがいなさから、チームメートや野球から距離を取るようになった。
祖母に相談したが、「チームのためにできることはある」と言われた。祖父からは「頑張っているか」と問われて答えられず、だれも自分のことを分かってくれる人がいないのではないかと思った。「生きている意味がわからなかった」
■懸命に生きる祖父の姿を見た
退部しようか悩んでいた昨年5月ごろ、祖父が肺炎を患った。病状は悪く意識が戻らず、集中治療室に入った。医師からは「最悪の事態も考えて」と言われた。
その後、祖父の意識は戻ったが、懸命に生きる祖父の姿を見たとき、あの時の祖父とのやりとりを思い出した。
なにも答えられなかった自分が情けなかった。「頑張ってるよ」とさえも言えなかった自分に腹も立った。
選手は諦めた。だが、マネジャーとしてチームに尽くすことを決めた。
しびれが残る右手の小指と薬指、伸びきらなくなった右ひじ。あれだけ苦しめられたけがも、道具の管理や、ノックを打つ岡田監督の補助など、できることを精いっぱいやると、気にならなくなった。
■かけがえのない2年半だった
東洋大姫路は今夏、14年ぶりの甲子園出場を決め、8強まで駆け上がった。
迎えた19日の準々決勝、沖縄尚学戦。ベンチで記録をつけながら、仲間に声を出し続けた。終始、劣勢だったが、それでも大和さんは仲間を信じ続けた。ただ、1点は遠かった。
試合後、大和さんは涙ながらに「ここまで連れてきてくれた仲間にありがとうと伝えたい。悩んだ時期もあったが、かけがえのない2年半だった」と語った。
そして、昨年末に再度、肺炎を患い、そこから一度も会えていない祖父へ。あのとき、答えられなかった言葉をいま、伝えたい。
「甲子園で最後まで諦めずに、投げ出さずに、頑張ったよ。そして、一生の友達、仲間ができたよ。ありがとう」(原晟也)