(7日、第107回全国高校野球選手権大会1回戦 旭川志峯1―3広陵) 「一緒に来てくれるなら(旭川志峯に)入る。一緒に甲…

(7日、第107回全国高校野球選手権大会1回戦 旭川志峯1―3広陵)

 「一緒に来てくれるなら(旭川志峯に)入る。一緒に甲子園に行こう」

 中学3年の夏。旭川志峯の部活見学に来た熊野瑠威選手(3年)は、旧知の稲葉遼主将(3年)に声をかけた。これが始まりとなった。

 苫小牧出身の熊野選手は、幼い頃から父親に連れられ、駒大苫小牧を応援しに何度も甲子園に足を運んだ。兄の影響で野球を始めると、甲子園は「目標の場所」になった。

 中学時代に格闘技に興味が出て、一時、野球から格闘技に競技転向しようかと思ったこともあったが、最終的に旭川志峯を選んだ。そして、ダブル主将の一人として、稲葉主将とともに「目標の場所」にたどり着いた。

 平坦な道ではなかった。内野手だったが、今春のはじめ、球が思うように投げられなくなる「イップス」になった。「正直つらくて、野球をやめようかと思った」。端場雅治部長からの「外野に行って思いっきり投げろ」とのアドバイスで外野手にコンバート。「イップス」を克服した。

 しかし、チームは春季大会でまさかの初戦敗退。「このままでは甲子園に行けない」。チームのムードメーカーの一人でありながら、今までチームを引っ張ることを避けて来た自分の甘さを思い知った。

 ダブル主将に立候補した。主にゲームキャプテンとして、試合中でも練習中でも、声を出し、時には厳しい言葉で仲間に声をかけた。勝つために、言い合えるチームづくりをめざした。

 1番打者として、「どんな不細工なヒットでもいいから塁に出る」と話していた通り、バットを極端に短く持ち、内野ゴロでも一塁にヘッドスライディング。守備では大飛球を背走しながら好捕。闘志あふれるプレーを見せた。「野球を続けていなければ、こんな仲間との思い出はなかった。楽しかった」と語った。

 将来の夢は格闘家。甲子園を集大成と位置づけ、大学進学したら野球はすっぱり辞めるつもりだ。「夢は口にしてかなえるタイプ。絶対、世界王者になる」。次の夢へ、踏み出す。(中沢滋人)