(8日、第107回全国高校野球選手権大会1回戦 綾羽6―4高知中央=延長十回タイブレーク) 「練習の励みになるんやった…

 (8日、第107回全国高校野球選手権大会1回戦 綾羽6―4高知中央=延長十回タイブレーク)

 「練習の励みになるんやったら、甲子園の土を渡す。甲子園に出たら、私に土を返してほしい」

 小学3年生だった野球少年は、かつて甲子園に出場した男性から声をかけられ、土を受け取った。少年はその土を見ながら甲子園をめざし、夢をかなえた。

 その少年は、綾羽(滋賀)の背番号6、経免拓隼(きょうめんたくと)選手(3年)。小学1年から野球を始めた「練習の虫」だった。

 キャッチボールをしたり、バドミントンのシャトルをバットで打ったり――。大津市の自宅近くの公園で休みなく、父・猛(たけし)さんと毎日練習していた。

 その姿を、近くに住む男性が見ていた。「本当に毎日お父さんと練習して、この子は努力しているな」と、頑張っている姿に感心していた。

 松川淳さん(65)。春夏13回の甲子園出場を誇る比叡山(大津市)の元主将だった。

 松川さんは甲子園に出場し、そのとき土を持ち帰っていた。地元のイベントで経免選手に声をかけ、「練習の励みになるんやったら渡す」と提案すると、「励みになります」と答えてくれたので、土の一部を小瓶に移して渡した。

 「甲子園の土が少しでも力になって、野球を続けてくれたらいいな」。松川さんは当時、そう思ったという。

■勉強机に置いた甲子園の土

 経免選手は、受け取った甲子園の土の瓶を勉強机に置いた。

 「自分で甲子園に行って、土を松川さんに返す」を目標に、練習に励み続けた。

 経免選手と松川さんは年賀状を出し合う仲にもなった。「野球がんばれ」「今年もがんばります」というような、やり取りが続いた。

 迎えたこの夏。綾羽は滋賀大会で、強力打線とタイプの異なる6投手を擁して臨み、準決勝進出を決めた。経免選手は人づてに連絡先を入手し、松川さんに電話をかけた。

 「あと二つ勝って、甲子園の土を返します」

 決勝進出を決めたあとにも、電話を入れた。

 松川さんは「あと1勝やね。がんばれ」とエールを送った。

 滋賀大会決勝は松川さんも球場で応援した。昨春から県内公式戦無敗の滋賀学園を相手に綾羽は逆転勝ちし、春夏通じて初の甲子園出場を決めた。

■「甲子園決まったんで、土を返せます」

 決勝のあと、経免選手は松川さんに電話をかけた。「ありがとうございました」と言い、続けた。「甲子園決まったんで、土を返せます」

 松川さんは「漫画みたいな話。まさか、本当に将来、甲子園に出るとは思わなかった」と喜ぶ。

 8日の甲子園初戦。松川さんも応援に駆けつけた。

 第4試合は大会史上最も遅い午後7時49分に開始。綾羽は九回に同点に追いつく粘りを見せ、延長十回タイブレークの末に6―4で勝ち、初戦突破を果たした。

 経免選手は3打数1安打で、守備では無失策だった。試合終了は午後10時46分で、大会史上最も遅かった。

 松川さんは「素晴らしい試合やった。感動しました」と喜んだ。経免選手は「恩返しができてうれしい」と笑みを浮かべた。

 経免選手は「全国制覇したあとの土を渡せたらいいな」。甲子園の土をめぐる物語の先を思い描いている。(仲程雄平)