あらゆる競技が時代とともに変化し、進化を続けている。もちろんサッカーも例外ではない。この夏も「新たなルール」が導入され…
あらゆる競技が時代とともに変化し、進化を続けている。もちろんサッカーも例外ではない。この夏も「新たなルール」が導入されたが、まだ改善の余地があると、サッカージャーナリストの後藤健生は考える。サッカーという競技を今後も維持するために「必要なこと」とは?
■オフを過ごす時間も「不十分」
何度も言うが、もちろん選手の安全は最優先だ。
首を骨折したままプレーを続けたバート・トラウトマンの伝説のようなことは、21世紀には起こってほしくない。僕は2003年のコンフェデレーションズカップで、カメルーンのマルク=ヴィヴィアン・フォエが倒れた場面を目撃したが、選手がピッチ上で倒れて命を落とすなどということは、けっして起こるべきではない。
FIFAがクラブ・ワールドカップという新しい大会を創設したことで、選手たちが1シーズンにプレーする試合数はますます増加し、ゆっくりとオフを過ごす時間も与えられなくなってきている。
選手の安全や健康はないがしろにされているわけだ。僕は選手の安全は大事だと思うから、FIFAのやり方には反対だ。そのことを前提に、選手の負傷によるプレーの中断を防ぐには、どうしたらいいのか、考えてみたいのだ。
一つの方法は、プレーを中断させなくてもメディカルスタッフの治療を受けることができるようにすることだ。
ラグビーではそうしている。
ラグビーというスポーツでは、直接的なフィジカルコンタクトが多いので、当然、アクシデントが増える。
だが、ラグビーでは選手が負傷して倒れたとしても、必ずしもレフェリーがプレーを止める必要はない。なぜなら、プレーが続行している間でもすぐにスタッフが選手のもとに駆けつけて治療に当たれるからだ。
これができるのは、ラグビーでは選手が倒れている位置にボールが転がってくる可能性が小さいからだ。
■インプレーでの「選手の治療」
ラグビーは、ボールを前方に向けてパスできない。前方にパスすれば「スローフォワード」の反則になってしまう。そのため、サッカーに比べてボールの動きに制約があるのだ。
ラグビーでも前に向かってキックはできるが、キッカーより前方にいた味方選手は全員がオフサイドだから、プレーに関与できない。キッカーが前方に走ることによって、前方にいた選手がオンサイドに切り替わるのだから、結局、人が走る以上のスピードでボールが前に動くことはないのだ。
サッカーでも、1863年に最初のルールができたときは、ボールより前にいる選手は全員オフサイドだったが、2年後には相手の後方から3人目の選手の位置がオフサイドというようにルールが変わり(現在は2人目)、それ以降は前方にいる味方にパスすることができるようになった。
それからは、バックパスを戻したり、前方にパスをしたりできるようになり、ボールの動きが大きく、速くなった。
だから、ラグビーではインプレーのまま選手を治療していても、そこにボールが来ることは少ないだろうが、サッカーでは選手が倒れている位置にボールが転がってくる可能性が大きい。それで、サッカーではインプレー中に選手を治療することが許されていないのかもしれない。
だが、そこで選手が治療中なら、他の選手はそれを避けてプレーすることも可能だろう。選手が倒れるたびにプレーを中断することのデメリットを考えれば、サッカーでもインプレーのまま選手の治療ができるようにしてもいいのかもしれない。
■見落としを防ぐ「2人主審制」
もう一つの解決法は、選手が倒れた場合、プレーを止めさせるべきか否かを第三者が判断するようにすることだ。
その役割をする人物を、たとえば「メディカル・アシスタント・レフェリー」(MAR)と呼ぶことにしよう。何らかの医学的知識を持った審判である。
選手が倒れた場合、まずそのMARが駆け寄って選手の状態をチェックする。そして、直ちにプレーを止めて治療する必要があると判断した場合には、レフェリー(主審)にプレーを止めるように連絡して、レフェリーが笛を吹いて試合を中断する。
一方、選手が単に痛がっているだけでそのまま放置していても問題ない、あるいはアウト・オブ・プレーになるのを待っていても大丈夫という場合は、プレーを続行させる。
こうすれば、プレーが中断する場面はかなり減るのではないか?
もう20年くらい前のことだが、「2人主審制」のテストがイタリアで行われたことがある。
同格のレフェリー(主審)を2人置いて、基本的にピッチの片側ずつを所管させるのだ。レフェリーが2人いることによって、一つのプレーを両側から見ることで「見落とし」を防ぐこともできる。
結局、2人のレフェリーの間で判定基準が違っていることが多く、この試みは失敗に終わったのだが、その2人主審制のテストが行われていたコッパ・イタリアの試合を、たしかローマのスタディオ・オリンピコでだったと思うが、観戦したことがある。
2人の主審の間のコミュニケーションが難しそうだったり、判定基準にバラつきがあったりで僕もあまり良い印象は受けなかったが、ただ、選手が負傷した場合に主審の1人がすぐに駆け寄って、選手の状況をチェックしてプレー続行か、中断かを判断してできるのは2人主審制の良さだと思った。
だから、それを発展させて、医学的知識を持ったMARを置いたらどうかというアイディアを思いついたのである。
■FIFAの「愚策」が魅力を損なう!
19世紀の後半に創られたサッカー(アソシエーション・フットボール)という新しいスポーツは、資本主義や工業化という社会の変化にともなって世界中に広まり(ヨーロッパ大陸でサッカーを普及させたのは、近代化を推し進めた階層の人々だった)、世界で最も人気のあるスポーツとなった。僕の最初の著書のタイトル『サッカーの世紀』というのは、そういう意味なのである。
だが、そのサッカーというスポーツは21世紀以降もずっと世界最大のスポーツであり続けられるのか? それは誰にも分らない。
FIFAが金儲けのためにさまざまな愚策を思いついて(クラブ・ワールドカップとか、ワールドカップの参加国数を拡大するとか……)、サッカーというスポーツの魅力を損なってしまっているし、また、あまりにフィジカル能力に偏ったサッカーが横行することも、サッカーの魅力を失わせるかもしれない。
そもそも、若い世代の人たちにとっては「90分」という時間が長すぎるのではないかとも言われている(あらゆる競技で、競技時間を短くしようとする方向に動いていることは、前回のコラムでもちょっと触れた)。
21世紀を通じて、サッカーという文化を維持するためには、それをより魅力的にしていく工夫が必要だ。プレーが中断する時間を少なくすることも不可欠なことだと思うのである。