初の甲子園に臨む綾羽(滋賀県草津市)の硬式野球部。実は、定時制の軟式野球部からスタートしている。過去を知る人たちは「引…

 初の甲子園に臨む綾羽(滋賀県草津市)の硬式野球部。実は、定時制の軟式野球部からスタートしている。過去を知る人たちは「引き継がれた思いが結実した」などと感慨深い思いでいる。

 綾羽には、全日制、定時制、通信制がある。定時制の軟式野球部は1989年、生徒からの要望を受けてつくられた。

 選手たちは働きながら練習に励んでいた。「みんな仕事があるから、全員が集まって練習できる日が少なかった」と、選手だった日野一樹さん(48)は振り返る。

 それでも、93年には東京・神宮球場での全国高校定時制通信制軟式野球大会に初出場し、いきなり4強。98年には準優勝を果たした。「苦労しながら続けた野球はトップレベルやった」と、創部に携わり校長などを務めた柴原聖嗣さん(79)。

 その準優勝のあと、甲子園出場をめざして硬式野球に転換し、99年に県高校野球連盟に加盟。そこから、いまの硬式野球部の歩みが始まった。

 定時制の軟式野球部で監督、硬式野球部でも監督や部長を務めた長岡高弘さん(57)。「硬式で勝って世間に綾羽を知ってもらいたい」という思いをずっと持っていた。

 だが、甲子園への扉は開けられなかった。「何度もはね返された。甲子園は雲の上、見えていなかった」と長岡さんは話す。一方、綾羽の硬式野球部と同じ年にできた滋賀学園の硬式野球部は、創部10年で夏の甲子園に初出場した。

 それでも着実に力をつけていった。「綾羽の名前が出ると、胸を張って『綾羽の出身』と言っている」と日野さん。4回目の挑戦となった滋賀大会決勝での悲願達成に「今の子たちに感謝」と語る。

 長岡さんは今春、30年勤めた綾羽を退職したが、いまも練習環境の整備などでチームを支える。

 7月30日には、選手たちが練習する大津市のマイネットスタジアム皇子山を訪れ、過去からの積み重ねがあって今があることを選手たちに伝えた。そして「新しい歴史をつくってくれ」と思いを託した。長岡さんは選手たちに胴上げされ、滋賀大会決勝の舞台になった球場で宙を舞った。(仲程雄平)