「時は来た!ドラフト指名を待つ男たち」

鍬原拓也 くわはら・たくや
北陸→中央大
投手・右投右打・176センチ75キロ・1996年3月26日生(21歳)

 

 最速152 km/hのストレートを軸に、シンカー、スライダーなど変化球とのコンビネーションが冴えるドラフト上位候補右腕。本格派にしては珍しい得意球のシンカーは「これが無ければココまで来てなかったと思います」と話すほどだ。サイドスローだった中学時代に習得し、そこで覚えたものが上手投げに戻っても生きているのだという。
 一方で「ストレートあっての変化球だと思います。そこは変えたくないですね」と話すように、ストレートにもこだわりを持つ。

 もともと際立つ才能があった。同学年の選手よりも成長が遅いはずである3月26日の早生まれながら、小学生時代のホワイトイーグルスでは軟式野球の全国大会で16強入り。中学時代は橿原磯城リトルシニアでプレーし、中学硬式野球日本一を争うジャイアンツカップで、投手二枚看板の1人として3位入賞に貢献している。

 中学時代は少々ヤンチャなところがあり、当初は高校でも野球を続けるつもりはなかったが、女手一つで育ててくれた母の佐代子さんが「野球を続けて欲しい」と涙して懇願。そんな母の姿を見て、鍬原は特待生として勧誘をしてくれた福井の北陸高へ進学した。
 そこで初めて親元を離れて寮生活をしたことで「親のありがたみが分かり、どれだけ迷惑をかけていたのかも思い知りました」と精神面で成長することができた。すると、打者として高校通算22本塁打を放つ一方で、ストレートの最速は147km/hにまで伸ばした。

 中央大では「投手としての方が成長した気がしたので」と投手に専念。1年秋からリーグ戦に登板するも2年を終えてわずか1勝と、なかなか素材が開花しきらなかった。
 それでも3年春の途中から先発を任されると、清水達也監督(昨年までコーチ)が「役割が明確になり“フィールディングや牽制、マウンドさばきができないと勝てない”と何をすべきか分かったのではないでしょうか」と分析するように、投手としての総合力を高めていった。
 最上級生となった今春は、自身最多の4勝をマーク。スカウトも「腕が体の前でしっかり叩くように振れています。シンカーも有効ですね」と評したように、各球団から熱視線を浴びる存在になった。

 今後については「野球少年から憧れられる投手になるのが夢です」と語る。心身ともに、さらに逞しさを増して、プロ野球界でもひときわ輝く存在になりたい。
 
文・写真=高木遊