イチロー氏の殿堂入りスピーチもまた多くの人々の心を動かした(C)Getty Images 野球評論家の佐野慈紀氏が現在の…

イチロー氏の殿堂入りスピーチもまた多くの人々の心を動かした(C)Getty Images
野球評論家の佐野慈紀氏が現在の野球界を独自の視点で考察する「シゲキ的球論」。今回はアジア選手として初めて米国野球殿堂入りを果たしたイチロー氏との”現役時代にグラウンドで交わした言葉”について振り返った。
元マリナーズ、ヤンキースなどで活躍、米大リーグで通算3089安打の金字塔を打ち立てたイチロー氏がアジア選手として初めて米国野球殿堂入りの快挙を達成した。現地時間の7月27日には聖地ニューヨーク・クーパーズタウンで開催された表彰式典にイチロー氏は出席。集まった約3万人のファンから祝福を受けた。
【動画】「これで3度目のルーキー」イチロー氏の殿堂入りスピーチをチェック
佐野氏も現役時代、当時オリックスに在籍していたイチロー氏との対決に野球人としての喜びを感じていた1人だった。
イチロー氏の快挙に佐野氏は「本当にうれしい。投手はまだしも、体格差などもあり、野手が通用するのは難しいと言われていた時代。その壁を破ったのは間違いなくイチローです」と賛辞を贈ると「彼の通算安打数に、少なからず僕も貢献していますからね(笑い)」と、NPB時代の対戦に関してジョークを交えつつ、振り返った。
さらに佐野氏を感動させたのが、イチロー氏がメジャー挑戦のパイオニアである野茂英雄氏に感謝の言葉を「野茂さん、ありがとうございました」と日本語で述べたこと。約19分間に及ぶスピーチは英語で行いながら、あえて日本語で道を切り開いた先輩に敬意を示したシーンだ。
「野茂の功績は計り知れないものです。メジャーの扉を開けたのは間違いなく、野茂ですから。そこにちゃんと敬意を示せるイチローはやっぱりすごいなと思いました。しかも日本語でね、粋じゃないですか」と感慨深そうな表情を浮かべた。
イチロー氏がオリックス在籍時代に、佐野氏は近鉄バファローズの中継ぎエースとして何度も対戦した。
イチロー氏の思い出について聞くと佐野氏は「初対戦は正直、覚えていないんです。ただ、長岡球場(新潟県)で野茂から放ったプロ初のホームランはブルペンで見ていましたね」と振り返る。
対戦時は「本当に楽しかった。どうやって抑えてやろうか!と。必死でがむしゃらでしたね」と佐野氏。
抑える方法としては「インコースのギリギリをどうやって振らせるか」(佐野氏)と集中していたそうで、ある時には打ち取って、攻守交代ですれ違った際に「佐野さんは僕の時だけすごい(球が)来ますねえ!」と声を掛けられた。佐野氏も「だって楽しいんだもん!」と応じたそうだ。
「その言葉を聞いた時に、『僕もピッチャーとして認められたんだ』と感じましたね。ある時には、直球アウトコース低めのベストピッチを「レフトポール際にホームラン打たれましたよ(笑い)。後で、僕が『ポール際(ぎりぎりだった)』と言うと、イチローは『何言ってるんですか佐野さん!左中間でしたよ!』って」と嬉しそうに熱戦を繰り広げた、在りし日々を振り返っていた。
【さの・しげき】
1968年4月30日生まれ。愛媛県出身。1991年に近鉄バファローズ(当時)に入団。卓越したコントロールを武器に中継ぎ投手の筆頭格として活躍。中継ぎ投手としては初の1億円プレーヤーとなる。近年は糖尿病の影響により右腕を切断。著書「右腕を失った野球人」では様々な思いをつづっている。
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