神野プロジェクト Road to 2020(6)(前回の記事はこちら>) コニカミノルタの富津合宿がスタートした。 9月27日から約10日間、選手がそれぞれ課題を掲げ、それを克服し、より強化していく。寮から宿舎に到着すると、神野大地がすぐに…

神野プロジェクト Road to 2020(6)

(前回の記事はこちら>)

 コニカミノルタの富津合宿がスタートした。

 9月27日から約10日間、選手がそれぞれ課題を掲げ、それを克服し、より強化していく。寮から宿舎に到着すると、神野大地がすぐに着替えて出てきた。近隣のジムで、これから中野ジェームズ修一とレイヤートレーニングを始めるのだ。

 ウエアは8月の網走合宿からニューバランスに変わり、足にはシューズは三村仁司氏が作る「ミムラボ」というカスタムシューズ。アスリート界では知らない人がいない著名な靴職人だが、神野も青学大時代から愛用し、「三村さんのシューズが一番」という信者だ。



中野ジェームズ修一氏とトレーニングに励む神野大地(右)

「じゃー、始めようか」

 中野が声をかける。

 レイヤートレーニングは、今回で15回目。2山は、7月末から数えて4回目になる。最近のテーマは、「前傾」フォームのための筋力強化である。

「今、ハムストリングスと臀部が肥大してきているので、それに見合った背中、いわゆる脊柱起立筋ですね。前傾の姿勢をするために使うバックラインの上の部分がまだできていないので、そこを作っていくことになります」

 1山目のABCDEはスピーディーに進行し、ひとつのトレーニングメニューの回数が多い。そのせいか、トレーニングが進行していくと、何度か動きが止まる。

「いやー、もう限界が近い。結構、疲労しています」

 神野は顔を歪ませた。

「さっき筋肉を触った感じは悪くなかったので、今日やれば筋力が戻るよ」

 中野が冷静な声で言う。

 神野は9月16日にアメリカのフラッグスタッフから帰国し、すでに19日にレイヤートレーニング、21日に瞬発系トレーニング、22日に体幹と3回、中野とのセッションを終えていた。この富津合宿では”追い込む”ことを目的にしているので、まず初日にレイヤーを入れたのだ。

 2分間のレストの後、2山目に入った。

 Bのトレーニングは両手を下につき、片足を前に出した体勢を取り、そのまま垂直に両手を上げて飛ぶ。そのジャンプを中野がスマートフォンで撮っている。

「3cmぐらいジャンプしているんですが、2、3カ月後、このくらいの負荷をかけた時、どのくらいジャンプできるかを見るために撮影しました。ジャンプ系トレーニングはつらくなってくるとブレるし、前に移動したりするんですが、できるだけ同じ場所で連続してジャンプできるようにしていきたいんです。どんなにきつくても上半身のコントロールができるようにしていかないといけない。走っていて右や左に行ったり、そこで必死に走っているようでは強い選手になれないですからね」

 わずか3cm程度のジャンプだが、20回もやると「腰がいてぇー」という神野の悲鳴が上がった。

 結局、2山目はABCDまでで終わり、Eには進まなかった。いつもなら神野が苦しんで喘いでも、まるで聞こえなかったように淡々と進めるのだが……。

「今、フォームを前傾にするために腰回りを鍛えているんですが、昨日の報告で右の腰に強く張りが出ているのを聞いていましたし、実際かなり張っていました。前傾のトレーニングをもう1セット入れると多分、腰痛になるので、今日はここまでですね」

 神野はアメリカから帰国後、中野とのトレーニングを継続しつつ、コニカミノルタでの練習量も減らさなかった。そのため両方の疲れが腰に出てしまっていたようだ。練習中からしきりに腰とハムストリングスの周辺をさすったりして、気にしていた。

 それでも8月末に「前傾のフォームをこれからやっていく」という話を中野がしてからまだ1ヶ月程度だが、神野曰く、すでに「自分で前傾を感じられるようになってきた」そうだ。すごい勢いで前傾フォームへの改造が進んでいるのがうかがえる。中野も「だいぶ良くなっている」と驚きながら続けた。

「でも、まだまだ完成じゃない。意識でもっていけるところと筋肉を作って無意識にもっていけるところがあるんですが、筋肉を作ってというのは時間がかかる。神野自身は少しずつ”前傾”を感じているようだけど、彼がそのくらいに思っているうちは見ている側からはそんなに変わらない。もっと前傾ができてくると誰が見ても変わったなとなってくると思います」

 神野自身は、前傾フォームがかなりしっくりくるようになったと言う。

「今のところ違和感はないですね。前は前傾を意識しても、気づいたらすぐにいつもの姿勢に戻っていたんですが、今は前傾してもキツさがなくて、自然と対応できるような体になってきました。中野さんに『蹴り上げ』を言われても、なかなか最初はできなかったんですが、意識して続けていくうちに意識しなくてもできるようになったので、前傾もそのうち意識せずともできてくると思います」

 神野が言う通り、力強い蹴り上げは最初、意識することで体に沁み込ませ、今ではそれが自然にできるようになった。ガニ股だった走りを内側に入れて走るというのも最初は意識していたが、今は内側に入れて走った方がラクになり、自然と足を運べるようになった。

「すごい変化だと思いますよ。神野はもっと上のレベルに行けると思うし、やらせたいことが増えてきた。五輪でメダルを獲った選手の感覚と似ているんで、そういう意味ではすごく頼もしい。ただ、このまま順調にいくとは思っていないけど……」

 中野は今後に期待感を抱きつつも慎重だ。スケジュール通りに成長してきても突然アクシデントが起きたり、伸び悩む選手をたくさん見てきているからだ。

 宿舎に帰り、氷をビニールに入れ、足と尻、腰回りに巻いていく。約20分間、下半身をくまなくアイシングするのだ。

 神野は網走合宿後、9月1日から16日までフラッグスタッフにある北アリゾナ大で2000mの高地トレーニングをした。青学大時代、御嶽合宿で高地トレーニングを経験していたが、2000mを超える場所での合宿は初めてだったという。

「2000mを超えるとレベルが違いますね。32kmを1km3分36秒ペースで走ったんですけど、心肺がヤバかった。乾燥しているんで給水するんですが、その時、一度呼吸を止める感じになるじゃないですか。給水を取った後、ハーハーとめっちゃ呼吸がキツくなるんです。でも、あそこで泥臭くやれば絶対に強くなるだろうなぁって思いますね」

 多くのアスリートたちが足を運ぶフラッグスタッフだが、拠点となる北アリゾナ大には
広いスペースや1周320mのレーンが2つある巨大なジムがあり、インドアコースと、外には広いトラックコースがある。標高2100mにある近くのバッファローパークにはサラサラの砂のクロカンコースがあり、神野曰く「最高のコース」だったという。2000mを超える環境で、これだけの施設が揃っているところは日本国内にはない。しかし、神野はここで練習することが本当にベストなのかどうか判断が難しいという。

「環境がいいし、泥臭くやれば強くなれるなって思うけど、高地なので練習量をなかなか上げられないですし、踏み込んだ練習ができないんです。日本で練習すると設定タイムも予想がつきますし、一段一段確実に階段を登っていける感じじゃないですか。もちろん、アメリカでの高地トレーニングにフィットすれば、逆に2段3段と飛び越えていける可能性があるけど、個人差があるので0.2段しか上がらない可能性もある。今回は2週間だけだったので、1カ月やったら違うのかなぁというのもありますが、これからアメリカでやるかっていうとなかなか判断が難しいですね」

 高地トレーニングは筋肉に酸素を運びエネルギーに変化させる赤血球を増やすEPO(エリスロポエチン)が増えてパフォーマンスを向上させ、心肺機能を高めることは学術的にも証明されている。だが、神野が言う通り、どのくらいの距離をどのくらいのペースで走ると、身体にどう影響があるのか。そういうデータや知識がまだまだ不足しているせいか、長距離の練習メニューの細かい設定などが十分にできていないのだ。

 今回のアメリカ遠征中、神野はチームメイトの山本浩之とともにイギリスに渡り、グレートノースランでハーフを走った。ロンドン、リオ五輪の5000m・1万mで金メダルを獲得したモハメド・ファラーが優勝(60分06秒)したが、神野は64分47秒という平凡な記録に終わった。調子は悪くなかったはずだが、らしくないタイムだ。何か問題があったのだろうか。

「そのレース、胃痙攣(けいれん)が起きたんです。たまにレースで腹痛が起こるんですけど、今回はそれがアップの時からちょっとあって、スタートしてすぐに出てしまった。やってきたことを出すというよりも、ハーフの距離を走るので精いっぱいでした」

 神野は苦笑して、そう言ったが、レース中の腹痛はこれまでも何回か起きていた。今年のニューイヤー駅伝では18km付近で腹痛が起き、青梅マラソン(30km:3位)、日本選手権(1万m:20位)、網走ホクレンロングディスタンス(1万m:9位)でも起きた。

「僕は腹痛が起きていない時は、爆走しているんです。昨年の甲佐10マイルでは外国人選手が引っ張る中、日本人で自分ひとりだけついていって優勝できた。今年の都道府県駅伝、丸亀ハーフでも腹痛が起きなかったのでいい走りができました。ニューイヤー駅伝ではラスト2000m付近で腹痛が起きたんですが、そんなに悪い結果ではなかった。だから、それほど本気になって腹痛に向き合っていなかったんです。でも、今回はヤバかったですし、12月の福岡国際の時に出てしまうと大変なことになるので、しっかり検査をして、次、起こらない方法を見つけていくことにしました。そういう意味ではグレートノースで起きたことをプラスに考えています」

 中野が付け加える。

「最初、血液の分配量が少ないから酸素不足になり、胃が痙攣しているのかなって思ったんです。だから、脚力(筋肉)がついて体力が上がると体の中で作られる血液の量が増えていくので、よくなるかなって思ったけど、よくならなかった。根本的に違うなって思ったので、検査をしてしっかりと対策をしなければならないですね。今のままでいくと福岡国際の時に出る可能性が高いので」

 レース中の腹痛の原因については、よく過度の緊張や不安などメンタル面も指摘されているが、そういう部分は関係ないのだろうか。

「僕は箱根ですごいプレッシャーを経験していますし、それほどヤワじゃない」

 神野はそう言って否定した。検査をして原因が特定されれば、不安なくレースに臨むことができる。

「唯一、そこが気掛かりなんで。腹痛が起こらなかったらそんな大崩れはしないですし、きっと爆走できると思うんですよ」

 神野は自分に対する自信を見せた。検査は富津合宿後に行なうという。

 アイシングの氷を取り、これから風呂に入って夕食になる。

「ここの宿の夕食がサイコ-なんですよ」

 厳しい練習の後のおいしい食事は合宿唯一の楽しみだが、ここは期待を裏切らないメニューだという。しかも、ココアが格別らしく、食後の楽しみになっている。

 神野はニコニコしながら、「じゃあ」と風呂に向かった。

(つづく)