明大時代の同期に阪神・高山ら、2年の歳月を経てドラフトを迎える菅野剛士 今月26日にプロ野球ドラフト会議が行われる。2年…
明大時代の同期に阪神・高山ら、2年の歳月を経てドラフトを迎える菅野剛士
今月26日にプロ野球ドラフト会議が行われる。2年前の2015年のドラフト会議では、明治大学から4人がプロ志望届を提出した。阪神から1位で指名された高山俊外野手、同じく阪神から2位で指名された坂本誠志郎捕手、日本ハムから1位指名された上原健太投手。そして、ただ一人指名がなかったのが、現在は社会人の日立製作所で中軸を打つ菅野剛士外野手だ。
当時、合宿所に設けられた記者会見場を立つ際に、明大の善波達也監督は菅野に声をかけた。おそらく、励ましの言葉をかけたのだろうが、詰めかけた報道陣のカメラのシャッター音にかき消され、本人はよく聞き取ることができなかった。
「自分だけ指名がなかったのは、ショックでしたね。それでも、数日後には秋季リーグ戦の優勝がかかった法大戦が控えていたので、気持ちを切り替えました。翌日の練習でも、チームメートはいつもと変わらずに接してくれました」
東海大相模高では、春夏合わせて3度の甲子園出場。3年春のセンバツでは優勝の栄冠に輝いた。広角に打ち分けられる長打力が武器で、明大ではリーグ通算28本の二塁打を放ち、それまで高木大成氏(慶大-西武)が持っていた27本の記録を20年ぶりに塗り替えた。ベストナインも2度受賞。それでも、プロから指名を受けることができなかった。
「実力も足りないし、しっかりとした結果も出ていませんでした。今だからわかりますが、すべてが足りなかったと思います」
指名漏れの悔しさをバネに社会人では1年目から活躍
その後、入社した日立製作所では、自身の長所でもあるバッティングを追及することに加え、捕球やスローイングなどの守備と、走塁に力を入れて取り組んだ。入社1年目の都市対抗野球大会では4番を任され、チームの準優勝に貢献。新人賞に当たる若獅子賞を受賞した。さらにこの年のベストナインも受賞。指名漏れの悔しさをバネに、ルーキーイヤーから活躍を見せた。
社会人で1年目から好成績を残せたのは、大学4年間の経験があったからだという。菅野は2年の春にベストナインに輝いたものの、2年の秋からスランプに陥った経験がある。引っ張って遠くに飛ばすという、自身の理想とする形での練習しかせず、攻め方を研究してきたピッチャーの配球に対応できなくなった。「これからは、自分が思い描くようなことは少なくなってくる」と善波監督には言われていたが、当時はその意味がわからなかった。
不振から脱出できたのは、きれいなヒットにこだわらず、詰まりながらも落とす、いわゆる「汚い打ち方」を練習してからだ。
「初めは『なんだ、この練習』と思いました。でも実際にそういうヒットも出て『こういうのもあるんだな』と気づかされました。もっと早く理解できていたら、大学生の時にしっかりした結果を出せていたと思います」
それまでは自分の意志を通していたが、人の意見を取り入れ、自分の中で整理することの大切さに気づき、4年春には2度目のベストナインを受賞。社会人となった今は、シーズンを通して大きく調子を崩すことなく、安定して結果を残せるようになった。都市対抗野球大会や日本選手権など、社会人の大きな大会はトーナメントのため、負けたら終わり。社会人野球の舞台で、1打席、1球の大切さも学んだ。
日の丸背負いアジア王座奪還にも貢献、ドラフトが迫る心境は…
「都市対抗は厳しい予選を勝ち抜かなくては出られない。常勝チームだからと言って、必ず勝てるわけではありません。どんな時でも、最低限の仕事が出来るように心がけてきました」
10月2日から8日まで台湾で行われたアジア選手権にも侍ジャパン社会人代表の一員として参加。予選から全試合に出場し、国を背負うという責任を感じながらプレー。2大会ぶりとなるアジア王座奪還に貢献した。
2年前よりも確実に経験を積み、再びドラフトの日を迎える24歳の外野手。ただ、菅野自身はドラフトよりも、11月2日に開幕する社会人野球日本選手権大会に目を向けている。
「ドラフトは自分でコントロールできません。大学で指名漏れも味わったけど、結果に左右されても仕方ない。それよりも、自分の出来ることをやった方がいいと思います。その方が自分のためにもなるし、チームのためにもなります。今は、日本選手権で自分の調子をいいところに持っていけるように、目の前のことに集中するだけです」
悔しい思いをしたあの日から、目の前のことに全力で取り組んできた2年間。やるべきことはやってきた。あとは吉報を待つだけだ。(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)