夏の甲子園をめざす、全国高校野球選手権茨城大会の決勝が27日に行われます。昭和30年代半ばから10年ほど、球児のあこが…

 夏の甲子園をめざす、全国高校野球選手権茨城大会の決勝が27日に行われます。昭和30年代半ばから10年ほど、球児のあこがれのゲームである決勝戦が行われなかった期間があることを知っていますか? 茨城の優勝校不在の時代です。

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 当時の甲子園は、都道府県ごとに1校の出場ではなく、茨城の場合は東関東の枠で千葉と代表の座を争った。ただし、50回大会などの記念大会の年は1県1校になった。

 県高野連発行の茨城県高校野球史によれば、43回(1961年)から54回(72年)まで、45回と50回の記念大会2回をのぞく10度の茨城大会は準決勝で終了している。

 上位2校が東関東大会に出場し、千葉から出場した2校と合わせて計4校でトーナメントを戦い、甲子園を争った。

 例えば決勝なしの最後となった54回大会。東洋大牛久と竜ケ崎一が準決勝に勝ったが、両校の決勝は行われず、東関東大会へ。東洋大牛久は銚子商に、竜ケ崎一は習志野に敗れて、甲子園出場はかなわなかった。

 LuckyFM茨城放送で、決勝の解説を担当する柳町勇さん(69)は54回大会時の竜ケ崎一のエースだ。決勝のない10回の大会中、竜ケ崎一は6回準決勝を勝っているが甲子園は1回のみ、千葉勢の壁は厚かった。

 「先輩たちにも、今のような1県1校で、茨城同士の決勝ならもっといけたという気持ちはあったと思います。今から思えば、決勝はやってみたかったですね。解説者として毎年のように決勝を見ていますが、やはり特別な舞台ですから」

 なぜ決勝はなかったのか? 高校野球の歴史に詳しい元朝日新聞編集委員の安藤嘉浩氏は「2県4校でトーナメントを行う場合、県大会で決勝をしてしまうと、県で準優勝だったチームでも甲子園に行ける可能性がある。それはトーナメントである選手権大会としておかしいという判断がなされたと考えられる」と語る。(斉藤勝寿)