蹴球放浪家・後藤健生は現在、韓国にいる。E-1選手権の取材は終了したが、放浪は延長戦に入っているのだ。韓国を歩きながら…
蹴球放浪家・後藤健生は現在、韓国にいる。E-1選手権の取材は終了したが、放浪は延長戦に入っているのだ。韓国を歩きながら、「日韓サッカー」と「生まれ育った町」に思いを馳せる。
■「似ている」日本と韓国
E-1選手権を観戦するため、7月7日から韓国に来ています。
男女の大会が同時に行われるので、10日間に合計12試合。僕が泊まっている水原(スウォン)市から男子の試合が行われた龍仁(ヨンイン)ミル・スタジアムや、女子の2試合が行われた華城(ファソン)綜合競技タウンまではバスで往復3時間ほどかかるので、それなりに忙しい生活となりました(水原ワールドカップ競技場までは徒歩10分)。
僕は大会終了後も1週間、韓国に残って各地でKリーグの試合を観戦して帰国するつもりなので、今回は合計17泊のかなり長い滞在となります。
日本と韓国は言葉こそ違え、社会の構造とかコンビニの品ぞろえなども似ているので、長期滞在してもストレスは感じることがありません。
僕は韓国の地理や歴史の知識も持っていますし、国歌「愛国歌」を1番だけですが、歌うこともできます。ずいぶん前のことですが、在日韓国人のサッカー記者の1人に「後藤さんも、本当は在日なんでしょ?」と言われたこともあるくらいです。
韓国語はほとんど話せませんが、ハングル(文字)は読めるので、生活に不自由ありませんし、韓国料理も大好きです。「Kリーグ観戦」というのは口実で、実は「長期滞在を楽しみたい」という気持ちのほうが強いのかもしれません。
■「考えられなかった」勝利
韓国を初めて訪れたのは、1983年3月の第10回日韓定期戦のときでしたから、もう40年以上も前のことになります。その後、数えたことはありませんが、韓国には30回以上は渡航しているはずです。
1983年といえば、韓国では朴正熙(パク・チョンヒ)大統領暗殺事件の後、粛軍クーデターを起こして全権を握った全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領が独裁権力を振るっていた時代であり、今とは何もかもが違っていました(当時の民主化運動や、それが弾圧された「光州事件」などを題材に数多くの映画が製作されています)。
サッカーでは日本代表が韓国に勝つ(ましてアウェーで)なんて考えられない時代でした。事実、第10回定期戦も0対3の完敗に終わりました。Jリーグ開幕の10年前のことですが、韓国では、この年からプロ・サッカーがスタート。韓国のサッカーは「ライバル」と言ってはおこがましい、日本からは仰ぎ見るべき存在だったのです。
■「柏木の師匠」の住む町で
さて、ここまで読んでいただければお分かりのように、僕はかなりの韓国好きです。その原因の一つに、僕が「大久保育ち」だという事実があるのかもしれません。
僕は赤ん坊のときに東京の新宿区柏木というところに引っ越してきて、30歳になる頃までずっとそこで生活してきました(その後、「柏木」は住居表示法によって「北新宿」という、つまらない地名になってしまいましたが)。
ちょっと脱線しますが、落語界の昭和の名人、六代目三遊亭圓生は柏木に住んでいたので「柏木の師匠」と呼ばれていました。そのせいではありませんが、僕は子どもの頃から圓生ファンで、今でも動画サイトの圓生の落語をしばしば聞いています。
ちなみに、写真家の篠山紀信氏の生家である円照寺も柏木にありました。