高校時代を振り返る第一声は「うーん、『苦』でしたね」という、うめきだった。もがき苦しんだ3年間だが、昨夏のパリ五輪、体…
高校時代を振り返る第一声は「うーん、『苦』でしたね」という、うめきだった。もがき苦しんだ3年間だが、昨夏のパリ五輪、体操男子で団体総合、個人総合、種目別鉄棒の3冠を果たす上で、欠かせない経験となっている。
地元・岡山県の高校に進学したが、競技に集中するために2019年5月、名門社会人クラブの徳洲会(神奈川県)に入った。高校も神奈川・星槎国際高横浜に転校。翌6月、世界ジュニア選手権(ハンガリー)の個人総合で初代王者に輝いた。順風満帆な高校生活がスタートした、はずだった。
悩まされたのが、慢性的な成長痛。ほぼ3年間、「いろんなところが痛くて技の感覚が狂い、なかなか思うような練習ができなかった」。高校3年の21年春は東京五輪の代表選考を兼ねた全日本個人総合選手権で予選落ち。夏の全国高校総体は個人総合3位と、試合で突出した結果は残せなかった。
それでも腐ることなく、3年間、崩れた体操を立て直そうと、痛みがあまり出ない倒立などの基礎に立ち返った。地道な鍛錬は、後に武器となる美しさや正確性に結実した。高校卒業後の22年春に試合で右膝に大けがを負っても、膝に負担をかけないつり輪の力技を磨くなど、苦難に立ち向かう精神力の醸成にもつながった。
「悔しさを存分に味わったので、それが自分を強くさせた。苦しい時期も時には必要なのかな」。競技と真剣に向き合う高校時代。試合での勝利だけが全てではない。困難に立ち向かう姿勢や頂点に届かなかった悔しさもまた、将来への大きな財産になる。(大舘司)
◆ おか・しんのすけ 岡山市出身。4歳で競技を始め、高校進学後に社会人チームの徳洲会入り。2022年に右膝前十字靱帯断裂の重傷を負ったが、その後に復活。24年NHK杯で優勝し、パリ五輪では団体総合、個人総合、種目別鉄棒の「3冠」に輝いた。名前はプロ野球・巨人ファンの父親が阿部慎之助監督にちなんで命名した。