ある者は子供のときからのあこがれ、ある者は己の力の挑戦-。
今年もドラフト会議の季節がやってきた。BIG6.TV では学生野球の聖地とも言える神宮球場で、4 年間にわたる激闘を繰り広げてきた東京六大学野球の強者たちの中から、プロ志望届けを提出した選手にスポットを当ててその想いに迫る。第2回は明大・竹村春樹選手。高校時代から注目を集めて1年春から出場機会をつかむと、攻守走でチームをけん引。侍ジャパン大学日本代表では主将を務めるなど、リーダーシップも兼ね備えるリーグ屈指の内野手だ(成績はすべて10月22日現在)。

◎プロ志望届を提出した思い
「ハイレベルなフィールドで勝負できる選手になりたいと思った」

全国の高校球児の誰もがあこがれる聖地・甲子園。そのグラウンドに浦和学院の一員として3年間で4度出場し、さらには3年生春には紫紺の優勝旗を手にした。明大進学後も1年生春からリーグ戦での出場機会を手にすると、今や不動のリードオフマン、内野の要としてチームに不可欠な存在へと進化を遂げた。そして、この秋に竹村が選択した決断とは-。
「今後の自分に必要なものは何かと考えたときに出した結論はプロへの挑戦でした。自分自身が具体的にプロを意識するようになったのは高校生のとき。浦和学院ではたくさんの経験を積むことができました。全国制覇は個人の力だけでできるものではないし、チームとして勝つ喜びも知ることができた。かけがえのない経験だったと思います」

プロを目指すようになったきっかけは大それたものではない。明大で研鑽を積むなかで「純粋に大きな舞台で自分はやりたいという気持ちが強かった」と語る。そんななかで、竹村自身があこがれを持つ選手は今季2000本安打を達成するなど、球界に名を刻んだあの選手だった。
「やっぱり自分が野球選手として目指していきたいのは、攻守走3拍子そろったプレーヤー。そういう意味では阪神・鳥谷敬選手は同じ遊撃手ですし、目指すべきスタイルじゃないかと考えています。身近な所では、入学したときの3つ上の先輩だった福田周平(現NTT東日本)さん、糸原健斗(現阪神)さんですね。大学4年間で打撃の波が結構あったりしたので、明大にいたときから感じていましたが、糸原さんの勝負強いバッティングは自分にもほしい部分ですね(笑)」

◎4年間挑み続けた神宮の舞台とは
「自分らしく全力で挑んだ。野球以外のこともたくさん学んだ」

周囲から見れば竹村の明大入学は鳴り物入りだったかもしれない。しかし、自身はまったくおごりを見せることなく、練習で必死にレベルアップを目指した。特に時間を割いたのは守備練習だ。日々の積み重ねは実を結んで、いまやリーグ屈指のショートストップへと成長した。
「高校のときから、守備がそんなにうまいわけではなかったと思います。ただ、高校3年生のときにU18W杯に選出されて、いろいろな選手のプレーを間近で見られたことは良い経験になりました。渡邉(諒、現日本ハム)や熊谷(敬宥、現立大)は同じ遊撃手で刺激になったし、楽天で活躍している松井(裕樹)の意識の高さは参考になりました。やはり、成長するには『意識次第』だと思ったし、そこに向き合って練習してきたつもりです」

ドラフト会議まであと数日に迫った。プロ入りを目指す竹村にとって明大、そして神宮球場で戦った4年間はどのようなものだったのだろうか。そして最後の秋季リーグ戦は、最終盤を迎えて慶大との一騎打ち。大学野球の最後に懸ける思いを聞いた。
「今年の春は残念な結果になったので、もちろん最後は優勝という最高の結果で終わりたい。でも、それよりも目の前の1球にこだわって悔いのないようにプレーしたいです。4年間でこだわってきた部分ですし、最後の1球まで自分らしく全力で挑んでいきたいですね。また、明大では人間力の大切を学んだ。もともとそこに魅力を感じて入学したんですけど、あらためて野球以外の私生活の時間の使い方が、プレーに影響すると感じる場面がたくさんありました。日々、一つひとつのことを大切にしていく。それは神宮でのプレーも同じ。自分にとってはあとで振り返っても、大切な時間だと思える4年間だったと思いますよ」

■プロフィール
竹村春樹(たけむら・はるき)1995年5月23日生まれ。右投左打。176㎝73㎏。浦和学院(埼玉)。リーグ戦通算79試合出場193打数40安打1本塁打11打点、打率.207。高校時代には浦和学院で甲子園に4度出場して、3年春には全国制覇を経験。明大進学後も1年生から頭角を現すと、持ち前の走力と守備力で内野手としてレギュラーを獲得。今季からは副将に就任して、ゲームではリードオフマンとしてチームを引っ張る。