サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、サッカーにおける「もうひとつの生命の危険」。そう、「猛暑」だけがサッカー関係者の生命を脅かすわけではないのだ。
■「雷ナウキャスト」で早めの対応
日本でも、今年4月に、奈良の私立中高でサッカー部を含む部活中に校庭で落雷事故が起こり、2人が意識不明になる重傷を負うという出来事があった。1人は数日後に意識を取り戻したが、1人はまだ意識不明のままだという。このときには雷鳴が聞こえたわけではなく、最初の一撃が校庭を襲ったらしい。
アメリカ政府の指針も日本サッカー協会の指針も、雷鳴や遠くの稲光だけでなく、雷雨が起こりそうなときにはしっかり情報を確認することが大事であるとしている。「雷注意報」が出ていたら、こまめに情報をチェックし、雷雲が近づいているのなら早めの対応が必要だ。今は気象庁の「雷ナウキャスト」というアプリがあり、かなり正確にリアルタイムの雷雲の情報を知ることができる。
落雷に対する怖がり方は、人によって大きく違う。ゴロゴロと聞こえただけでお腹を押さえて逃げ出す人もいれば、空全体が明るくなるような稲光を見ても平然としている人もいる。
白状するが、私は完全に後者の部類である。これはけっしていいことではないが、落雷を怖いと思ったことはあまりない。その理由は、10代の頃の経験による。
■堪能した「自然の大スペクタクル」
私の実家は神奈川県横須賀市の久里浜という東京湾に面した町にあり、その南端の神社に続く高まりに位置していた。私の家のすぐ南隣は、海を埋め立てた広大な東京電力横須賀火力発電所の敷地だった。といっても、火力発電所ができたのは私が小学生のときだった。幼い頃には、埋立地ができる場所にあった磯で貝やウニなどをとって遊んだ記憶がある。
火力発電所は埋立地の先端に近いところに建てられ、「隣」とはいえ、私の家との間には広大な敷地が広がっていた。家の2階の南側に面した私の部屋からは、その広大な敷地と発電所の巨大な建物群、そして180メートルもの高さを持った8本の煙突が、まるで「パノラマ」のように見えた。右側からは小高い山が迫り、その山がかつて海に落ちていたところから広がる発電所が広がっている。
年に何回か、そこが素晴らしい「大自然ショー」になる。もちろん落雷である。私は雨戸をすべて開け、風向きがよければガラス戸も開け、その大スペクタクルを堪能した。広大な空を引き裂いて、ときに何本も稲妻が走る。発電所の建物がパッと浮かび上がると、ほんの数秒で腹に響くような轟音が襲いかかる。
■事故がなかったのは「単なる幸運」
発電所があるから、高い煙突が並んでいるから、私の家は安全だと信じ切っていた。カミナリを怖いと思ったことはないのである。
だからこれまで、自分のチームの活動では、「雨雲レーダー」などを見て雷雲の動きをチェックし、「相当離れているから大丈夫」などと練習を継続したこともあった。正直なところ、次の試合に備えて考えてきた練習をなんとか実施したいという「コーチのエゴ」もあったかもしれない。
しかし、落雷のことを調べれば調べるほど、怖くなってきた。これまで事故がなかったのは、単なる幸運だったのだ。奈良の事故を契機に私は方針を変えた。アメリカ政府の「指針」も思い起こし、日本サッカー^協会の指針どおりに、雷鳴が聞こえたら選手たちを安全なところに避難させよう。
サッカーは、絶対に生命の危険を冒してするようなものではないのである。