中畑清×篠塚和典 スペシャル対談(6)(対談5:中畑清が篠塚和典に涙で感謝した、1989年日本シリーズでの現役最後のホー…
中畑清×篠塚和典 スペシャル対談(6)
(対談5:中畑清が篠塚和典に涙で感謝した、1989年日本シリーズでの現役最後のホームランに「ありがとう、シノ」>>)
芸術的なバットコントロールと守備で活躍した篠塚和典氏と、"絶好調男"などの愛称で親しまれた中畑清氏。選手としてだけでなく、コーチとしても巨人で活躍したレジェンドOBふたりに、入団当初から驚かされたという松井秀喜氏の印象を聞いた。
巨人1年目の松井秀喜
photo by Sankei Visual
【松井秀喜は1年目から規格外だった】
――おふたりは巨人で長年コーチを務められ、多くのバッターを見てこられましたが、一番すごさを感じたバッターは?
中畑清(以下:中畑) ゴジ(松井秀喜氏の愛称"ゴジラ"の略)じゃないかな。シノはどう?
篠塚和典(以下:篠塚) ゴジはあまり関わっていないんです。僕は(阿部)慎之助ですね。(高橋)由伸もすごかったですが、慎之助は変わり方が想像以上でした。ずっと見ていましたが、あそこまで進化するイメージはなかったので。センスもあるでしょうし、本人の努力が大きいと思います。ましてやキャッチャーでリードの勉強もたくさんしなければいけないなか、あれほどのバッティングをしていたのはすごいですよ。
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【プロフィール】
■中畑清(なかはた・きよし)
1954年1月6日生まれ、福島県出身。駒澤大学を卒業後、1975年のドラフト3位で巨人に入団し4年目から一軍に定着した。通算打率.290の打撃、ファーストでゴールデングラブ賞を7回獲得した守備で勝利に貢献。長嶋監督から調子を聞かれ、試合に出るために「絶好調!」と答えて「絶好調男」としても人気を集めた。1989年に現役を引退。2012年から4年間、DeNAの監督を務めた。また、2004年のアテネ五輪ではヘッドコーチを務めていたが、チームを率いていた長嶋茂雄氏が脳梗塞を患って入院したあとに監督を引き継ぎ、チームを銅メダルに導いた。
■篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。