サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、サッカーにおける「もうひとつの生命の危険」。そう、「猛暑」だけがサッカー関係者の生命を脅かすわけではないのだ。

■ペルー、そしてコロンビアでも…

 昨年11月にペルーのアマチュアの試合で試合中に選手がカミナリの直撃を受け、39歳のディフェンダーが死亡し、他にも4人の選手が負傷するという事故があった。直撃を受けたウーゴ・デラクルスの体からは、煙が上がるのが見えたという。

 エルマン・ガビリアというコロンビア代表選手は、2002年10月、この国の強豪クラブであるデポルティボ・カリの練習中に落雷で亡くなった。

 その午後は激しい雨が降り、近くでカミナリも頻発していたが、トレーニングが始められ、開始から10分後、グラウンド近くに立つ電柱に落雷、雨で濡れていた芝生に電気が伝わり、練習していた選手全員がショックで倒れた。ほとんどの選手はすぐに立ち上がったが、電柱に近い場所にいたガビリアは即死だった。32歳だった。その3日後には、意識不明で病院に運ばれたジョバンニ・コルドバも亡くなった。

 ガビリアはその前年に当時J2だった湘南ベルマーレで、背番号10をつけてプレーしている。湘南の選手たちは事故が伝えられた翌日のモンテディオ山形戦(アウェー)で急きょ喪章をつけて試合に臨み、次のホームゲームでは黙とうを行った。

■変幻自在のプレー「ゴースト」も

 イングランドでは、トットナム・ホットスパーのFWジョン・ホワイトの悲劇がよく知られている。スコットランド出身で、スコットランド代表キャップ22回を誇るホワイトは、22歳の年からトッテナムでプレーし、「ゴースト」と呼ばれる変幻自在のプレーで活躍、1961年の「ダブル」(リーグとFAカップ)、1962年のFAカップ、そして1963年の欧州カップウィナーズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの前身のひとつ)で優勝の立役者となった。

 オランダのロッテルダムで行われたカップウィナーズカップの決勝戦、アトレチコ・マドリード戦では、前半35分にゴール正面から左足の強烈なシュートで2点目を叩き込み、5-1の勝利に貢献した。このタイトルは、イングランドのクラブにとって欧州のクラブカップ戦での初めての優勝だった。

 1964年のシーズンオフ、ホワイトはロンドンの北、エンフィールドにある「クルーズ・ヒル・ゴルフクラブ」で、チームメートであり、同じスコットランド代表の先輩でもあったデイブ・マッカイ(彼がホワイトをトットナムに取るよう進言したという)とプレーしていた。その最中に天候が悪化し、ホワイトは大きな木の下に入って雨宿りした。その大木をカミナリが直撃したのだ。

■5歳の少年にも「不安感」を与えた

 大きな木の下は、落雷時には非常に危険な場所とされている。木は電気を通しにくいため、てっぺんに落雷したものがすぐそばにいる人のほうに流れることが多いのだという。これを「側撃」というらしい。覚えておかなければならないことだ。ホワイトは「側撃」を受け、即死だった。

 左右どちらのウイングもこなしたホワイトは27歳。トッテナムの助監督ハリー・エバンズの娘でもあった妻はまだ22歳で、2人の子どもがいたという。彼の前には、洋々たる未来が待っているはずだった。

 私の友人であり、同じ町内に住む英国人ジャーナリスト、マイケル・プラストウさんに聞いたところ、彼は当時まだ5歳だったが、父親からこの事故の話を聞いた覚えがあるという。その話は、以前聞いたマンチェスター・ユナイテッドの悲劇(1958年、ミュンヘンでの航空機事故)と重なり、5歳の少年に小さくない不安感を与えたという。

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