プロ野球・オリックスがパ・リーグ初優勝にマジック3と迫った30年前の1995年秋。地元胴上げがかかる6連戦の本拠地・神…

 プロ野球・オリックスがパ・リーグ初優勝にマジック3と迫った30年前の1995年秋。地元胴上げがかかる6連戦の本拠地・神戸市須磨区のグリーンスタジアム神戸(GS)は熱気に包まれていた。

 「連日、大入り袋が配られ、外野裏の丘で木に登る観戦者が出るほど。あの状況でも、満員に集まってくれた観客の熱はすさまじかった」

 そう振り返るのは当時、球場を管理する神戸市公園緑化協会の課長でグラウンド管理担当の広脇淳(63)だ。

 あの状況――。この年の1月17日、阪神・淡路大震災が発生した。市内は甚大な被害に遭い、復旧復興のまっただ中だった。

 震災後、GSがある神戸総合運動公園は復旧拠点になった。駐車場の一部はヘリポート、アリーナは救援物資の集配地点に。球場は壁のひび割れや通路に段差の被害を受ける中、警察活動に使われた。

 「こんな時に何かできないか――」

 そんなオリックス選手たちの思いを伝えてきた球団と、球場を管理する公園事務所が相談したのを広脇は覚えている。震災で使えない校庭や公園が目立つ2月下旬、子どもたちが選手とスポーツを楽しむイベントが開かれた。

 「がんばろうKOBE」を合言葉にオリックスは勝ち星を重ねて、リーグ優勝を果たした。前年にプロ野球史上初のシーズン200安打を記録して人気、実力ともにうなぎ登りのイチローは、首位打者、最多打点、最多安打、最多盗塁を獲得してMVPに輝いた。

 選手の活躍は被災者に勇気を与え、その一体感で盛り上がるGSは復興に向けた神戸の象徴といえた。

 この年には、全国高校野球選手権兵庫大会で初めて使われた。開催地の一つだった神戸市民球場(長田区)は被災して仮設住宅が並んだため、その代替になった。

 観客を3万5千人収容できることなどからその後も使われて、2018年の記念大会以降は決勝と準決勝が開かれている。今夏も甲子園をめざす球児たちが熱戦を繰り広げる。

 兵庫県高校野球連盟理事長の高橋滋(62)は「収容人数が多く、観客の安全により配慮できる。プロ選手と同じ球場でプレーすることを楽しみにする球児は多いと思う」。

 神戸総合運動公園内にあるGSは名前の通り、緑に囲まれ、中堅122メートル、両翼99.1メートルある。

 初めて開催されたプロ野球の試合は1988年3月12日のオープン戦。オリックスの前身のひとつ阪急と、阪神が対戦して約3万人が詰めかけた。当時の地元紙では、盗塁王に13回輝いた阪急の福本豊が「広くてプレーしやすい球場だ。野手の間を抜ければ長打になる可能性が高いだろう」と語っていた。

 現在は内外野ともに鮮やかな天然芝が敷かれる。国内で当時、珍しかった施設の命名権売却がプロ野球の本拠球場で初めて実施され、2003年に「ヤフーBBスタジアム」へ。11年からは「ほっともっとフィールド神戸」の名で親しまれている。

 開場から40年近くたち、施設の老朽化が進む。市は「これからも選手や観客にとって魅力ある球場」にと、24、25年度には計約5億2千万円の予算で、外野のラバーフェンスやバックネット裏観客席の交換などを進めている。

 内野三塁側デッキでは、建物や橋脚が倒壊する震災当時の市内の様子や、リーグ優勝で胴上げされる仰木彬監督の写真計46枚の展示会「忘れない1995」がシーズン終了まで開かれている。=敬称略(上田雅文)

■ほっともっとフィールド神戸

 ユニバーシアード神戸大会の会場として1985年に造られた神戸総合運動公園内で、その3年後に完成した。大リーグの「ボールパーク」を手本にした造りが特徴で、ファウルゾーンに突き出しフェンスがない内野席では迫力あるプレーを楽しめる。神戸市営地下鉄「総合運動公園駅」から徒歩約3分。(上田雅文)