高校野球の発展に尽くした指導者を日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する今年度の育成功労賞に、岐阜県内から野村正幸さん(…

 高校野球の発展に尽くした指導者を日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する今年度の育成功労賞に、岐阜県内から野村正幸さん(60)が選ばれた。4校で監督や部長、副部長を歴任。技術に加えてあいさつや礼儀など社会で必要なマナーも指導し、大会運営にも献身的にあたった。指導者としての37年を振り返り「部員のためにやってきたのではなく、させてもらっていたのだと感謝の気持ちでいます」と語る。

 海津市出身。左利きで高校時代はファーストを守り6番を打った。大学卒業後の1988年4月、数学教諭として土岐(現・土岐紅陵)に赴任し、8月に監督に就任した。

 当初は苦心した。部の運営を巡って部員たちと溝ができるようになり、翌秋に主将を含め一斉に退部。十数人いた部員が4人になり、試合ができなくなった。

 残った部員たちのことを思った。新年度に新入部員が入ったらすぐ試合ができるようにするため、特に経験が必要なピッチャーの練習を残る4人にさせた。自身は特注のキャッチャーミットで球を受け続けた。

 翌春から試合を始めたが、連戦連敗。夏前に1年ぶりに勝った時は選手、マネジャー、そして自身も涙が出た。「一生懸命野球をやりたい子たちを守りたいという気持ちでした」と振り返る。

 約8年間の監督生活を経て、転勤先の大垣東でも監督に就任。部員は豊富で40人ほどいる年もあった。当初、試合ではレギュラー中心に全力で臨んだが、試合に出られない選手のモチベーション維持が課題だった。「みんなを出場させながらも、相手チームに失礼にならない試合をしようと心がけました」と語る。

 監督のほか、同校と海津明誠、大垣南で部長を務めた。監督と一緒にグラウンドに立って部員を指導する一方、夏の岐阜大会や春秋の県大会など大会運営に尽力した。

 主に担当したのは大垣市北公園野球場。球場の確保、グラウンド整備、出場チームの対応、駐車場への誘導……様々な業務がある。特に当番校になると早朝に球場に入り、夜に出るのが普通だった。

 複数の球場で実施される大会では「自校が他球場で試合がある日は早朝に北公園野球場に行き、それから試合に行き、また球場に戻って仕事をしました」。

 中でも重要かつ大変なのがお金の管理だ。チケットの売り上げ、審判・補助員の交通費など出し入れが多く責任が伴う。体力と神経を使うこの球場会計の仕事を長年続けた。

 現在勤務する大垣日大では野球指導から離れたが、高校野球への関心は衰えていない。

 「部員にとっては『野球とどう向き合ってきたか、どう取り組んできたのか』が大切です」と語る。後進に「勝ち負けだけにこだわらず、部員の手本になるような指導者になっていただきたい」とエールを送る。(高原敦)