蹴球放浪家・後藤健生は今、韓国にいる。サッカー東アジア最強国を決めるE-1選手権を取材するためだ。韓国は後藤氏にとって…
蹴球放浪家・後藤健生は今、韓国にいる。サッカー東アジア最強国を決めるE-1選手権を取材するためだ。韓国は後藤氏にとっても、日本サッカー界にとっても、いろいろな思い出がある土地だ。今回、脳裏に浮かんだのは、「1996年のアジアユース選手権」のことである。
■日本代表が泊まるホテルの「真裏」
E-1選手権を観戦に韓国に来ています。
男子の試合は龍仁(ヨンイン)市で、女子の試合は水原(スウォン)市と華城(ファソン)市で開催されるので、移動に便利なように地理的に中間に位置する水原に泊まっています。僕が泊まっている安ホテルは女子の試合会場のワールドカップ競技場までは歩いて10分強という便利なロケーション。ちなみに、男子日本代表が泊まっているホテルの真裏です。
水原市は韓国の首都ソウルから南に約40キロ。地方自治体である京義道(キョンギド)の道庁所在地で、ソウルからは地下鉄1号線が乗り入れている韓国国鉄の京釜(キョンプ)線で行くことができます。たとえて言えば、東京とさいたま市みたいな距離感です。
日本中が大熱波に襲われて各地が猛暑日となっていますが、韓国も事情は同じ。連日、最高気温36度から37度という過酷な環境で試合が行われています。
■「本当に寒かった」アジアユース選手権
ところで、その水原の思い出というと、今から29年前にさかのぼります。1996年10月に行われた、第29回アジアユース選手権(現AFC U-20アジアカップ)のときでした。10月というのに、このときは今回とは逆に、本当に寒かった記憶があります。
朝鮮半島も日本海(韓国語では「東海」)側はまだ気候も日本的ですが、半島の西側、それも北寄りの地域(つまり、ソウルや水原がある辺り)は気候も大陸的になってきます。冬は本当に足元の地面から凍りつくような寒さが伝わってきます。ソウル市内を流れる大河、漢江(ハンガン)が凍結することもあります。
それにしても、あのときは10月というのに、本当に寒かったものです。
さて、29年前のアジアユース(翌年のワールドユース予選を兼ねて、U-19代表によって争われる大会)は、韓国の入ったグループAがソウルの今はもう取り壊されてしまった東大門(トンデムン)運動場で、日本や中国が入ったグループBが水原の綜合運動場を舞台にして行われました。
そこで、僕はソウルの東大門駅前に宿をとりました。東大門運動場までは歩いていけますし、東大門駅で地下鉄1号線に乗れば、乗り換えなしで水原に行けるというわけです。こうして、毎日、寒さの中を東大門と水原を行ったり来たりする生活が始まりました(試合は、各グループ中1日の日程で行われました)。
■Uー20W杯出場権を「なんとか…」獲得
U-19日本代表はシリア、カタール、インドには勝利したものの、中国に敗れてグループリーグ2位となったため、準決勝で韓国と対戦。韓国に0対1で敗れ、アラブ首長国連邦(UAE)との3位決定戦でもPK戦で敗れましたが、4位に入ったことで、翌年にマレーシアで開催されるワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)出場権を、なんとか獲得しました。
今だったら、「4位通過」では批判を受けるかもしれませんが、アジア予選を突破してワールドユースに出場するのは、前回大会に続いて2回目のこと。アジア予選が何位であろうが、世界大会出場権を獲得すれば成功とみなされました。
しかし、当時のメンバーを見ると、まさに錚々たる顔ぶれが並んでいます。FWには現在鹿島アントラーズ・コーチの柳沢敦氏やヴィッセル神戸監督の吉田孝行氏、サイドアタッカーにはU-17日本代表監督の廣山望氏。あるいはDFには、日本サッカー協会会長の宮本恒靖氏や、かつて解説者として一世を風靡した戸田和幸氏、湘南ベルマーレ監督の山口智氏といった面々が顔をそろえていました。