3点を追う九回裏2死走者なし、桐生の主将・小林柚月(ゆづき)(3年)が打席に立った。先発メンバー入りできず、最終盤に代…

 3点を追う九回裏2死走者なし、桐生の主将・小林柚月(ゆづき)(3年)が打席に立った。先発メンバー入りできず、最終盤に代打で起用された。「絶対に打って、逆転の起点になりたい」。2球目の内角低めの変化球を振り抜くと、打球は右翼へ。三塁まで一気に駆け抜け、チームメートへ向け、力を込めてガッツポーズした。だが、続く打者が三振に倒れ、試合は終わった。小林はその場に崩れ落ちた。

 伊勢崎市出身。小学2年から野球を始めた。中学3年時の進路選択で桐生を選んだのは、1978年の第50回選抜大会で甲子園史上初の完全試合を達成した松本稔監督(64)が就任したからだ。その時の様子などが描かれた「昭和高校球児物語 前高(まえたか)完全試合のキセキ」(川北茂樹、2024年、ぐんま瓦版)も読み、「まさに偉人。本当にすごい人なんだ」と思った。

 筑波大大学院を修了した松本監督の指導は理論的だった。ニュートンの法則などに触れながら、球を投げる時のひじの使い方や、バットを振る時の手首の返し方を教えられた。はじめは言われたことが理解できなくても、やっていると徐々に分かってくるのが面白かった。

 活動は選手の自主性に任せる方式。今シーズンが始まった3月ごろからは、練習試合などで「ノーサイン野球」をして、選手たちと松本監督の考え方が一致しているかを確かめ、定着してきたのを実感していた。

 桐生は旧制中学校時代から春夏通算26回甲子園に出場した古豪。だが、78年の第60回選手権大会を最後に、47年間甲子園から遠ざかっている。

 同校がある桐生市は古くから野球が盛んで、市内の高校5校(桐生、桐生工、樹徳、桐生第一、桐生市商)が甲子園に出場した実績などから「球都桐生」と呼ばれてきた。地域の野球熱は高く、街中では「頑張って」「応援してるよ」とよく声を掛けられる。

 期待にも応えようと、「古豪復活・常勝桐生」を目標に、「もう古豪とは呼ばせない」と野球に打ち込んできた。

 昨夏の群馬大会後に選手たちからの投票で主将になった小林は毎日、朝練でバットを振った。放課後の全体練習後も遅くまで自主練し、「誰よりも練習をしてきた自信があった」。

 しかし、今夏の群馬大会の選手登録を控えた6月、選手間でベンチ入り選手の投票を行ったところ、小林は先発メンバーに入れなかった。活躍する選手は2年生が多く、ベンチ入りできなかった3年生も2人いた。小林は「高校野球はもうこりごり。やりきったし、自分の限界が分かって心が折れた」と大会前に吐露した。

 それでも、試合では伝令として松本監督とチームをつなぐ役割を果たした。試合後、松本監督は「誰よりも練習するその背中で部員を引っ張ってくれた。たった1打席だけだったが、努力が形になった」とたたえた。

 小林は「長い歴史がある伝統校の桐生で主将をやらせてもらい、OBや地域の方々の応援も受けて、人間としてもプレーヤーとしても、大きくなれた3年間だった」と振り返った。(中沢絢乃)

■好試合、次々と

 第107回全国高校野球選手権群馬大会(朝日新聞社、群馬県高校野球連盟主催)は9日、3球場で1回戦6試合があった。高崎経済大付―樹徳、明和県央―桐生は1回戦屈指の実力校同士の対戦。投打がかみ合った樹徳が快勝し、明和県央はエース五十嵐の145球の熱投で完封勝利した。藤岡北は延長十回タイブレークの末に伊勢崎興陽にサヨナラ勝ち。12日から2回戦が始まり、同日は3球場で6試合が予定されている。