ダイヤの原石の記憶〜プロ野球選手のアマチュア時代第1回 高橋宏斗(中日) コロナに翻弄され、コロナに救われた──。これが…

ダイヤの原石の記憶〜プロ野球選手のアマチュア時代
第1回 高橋宏斗(中日)

 コロナに翻弄され、コロナに救われた──。これが、中京大中京(愛知)時代の高橋宏斗(中日)の印象だ。

 高校2年秋に明治神宮大会を制し、日本一になっているが、決して順風満帆だったわけではない。


中京大中京時代の高橋宏斗

 photo by Ohtomo Yoshiyuki

【またおまえのせいで負けるのか】

 勝てばセンバツ確実となる1年秋の東海大会準決勝・津田学園(三重)戦では2番手で登板して5失点。5回コールド負けを喫した。2年夏の愛知県大会でも準決勝の誉戦で先発したが、7回途中5失点(自責は2)で降板している。

「(誉戦は)周りの評価は圧倒的に中京だったのに......。油断してしまった。(4対4から勝ち越しとなる)5点目の中前打はスライダー2球で追い込んで、外に外す球がシュート回転して打たれたんです。無駄に力が入った。自分のせいで負けました」

 苦い経験は成長の糧になる。津田学園戦のスコアボードを携帯電話のロック画面に設定。冬場に妥協しそうな時は、思い出して走り込んだ。誉戦後は小塚天眞コーチ(当時)から、「またおまえのせいで負けるのか」という叱咤を受けて奮起。投手陣のリーダーである投手チーフに就任したこともあり、自覚が出た。

 投球面でも、「何か変えないといけないと思った。1球で打ち取る球がほしかった」と、2年夏の大会後にカットボールを習得。130キロ前後出る変化球が加わったことで、投球に幅が出た。

 2年秋は愛知県大会初戦となった東邦戦で9回3安打完封。準決勝の豊橋中央戦では自己最速を更新する148キロをマークして5回1安打無失点。決勝の愛工大名電戦では146キロの直球とカットボールをコースに決め、11三振を奪って4安打でシャットアウトと無双。

 ところが東海大会では、準決勝の藤枝明誠(静岡)戦で試合には勝利したが8回5失点。決勝の県岐阜商戦は6回から救援で登板したが、8回に4安打3死球で4失点と不本意な投球だった。

「東海大会でスライダーがまったく通用しなかったので。握りもリリースのイメージも変えました」という明治神宮大会では明徳義塾(高知)を7回4安打10奪三振で完封(7回コールド)。力強い投球を見せると、決勝の健大高崎戦では救援で4回無失点。今度は0奪三振と力に頼らない投球を見せた。

「ブルペンから調子がよくないのがわかっていて、三振を取りにいかず直球を低めに投げて打たせる意識でいったのがよかったと思います」

 速球派にもかかわらず、制球力はある。自滅するタイプではない。それなのに、いい時はいいが、悪い時は悪い。好不調の波が激しかった。それゆえ、本人も自分の実力に確信が持てない。周りからは「ドラフト1位候補」と言われたが、高校卒業後は大学に進学するつもりだった。

【コロナ禍で甲子園大会が中止に】

 そんな高橋を変えたのが、新型コロナウイルスだった。出場が決まっていたセンバツだけでなく、夏の甲子園大会も中止になった。

「センバツの中止よりもショックが大きかったですね。報道を聞いて、そこから2、3日は何もやる気が起きませんでした」

 だが、結果的にはコロナによる約2カ月の休校期間が高橋を大きく成長させることになった。以前の休日は「適当に起きて、気が向いたら走りに行く感じだった」が、毎日スケジュールを決めて行動するようにした。

「体重を増やすのに必死でとりあえず何か食べよう」と、それまで口にしていたスナック菓子をやめた。食事は消化を考え、野菜から摂る。プロテインを飲む回数も種類も増えた。アドバイスを送ったのは、慶大野球部出身の兄・伶介さん。その年の4月に就職したがコロナで在宅研修となり、一緒に過ごす時間ができたのがプラスになった。

 兄のおかげで練習に取り組む意識も変わった。メニュー一つひとつの前に、「何のために、この練習をやるのか」と意味を理解してからやるようになった。

「『何でダッシュやるの?』と聞かれた時に、『体を温めるため』と言ったら、『それじゃあ、意識低い』と言われました。『投げる時、力を抜いたところからリリースで力を入れる。そのゼロから100を出すパワーを意識するためにダッシュをやるんだ』と。それも、30メートルなど短い距離をスタートだけ意識してやる。そう言われて驚きました」

 左足を上げる時に三塁側を向いて投げていたが、それをやめ、ワインドアップをノーワインドアップにするなど投球フォームを修正したのも兄の言葉がきっかけ。ストレートの握りも縫い目が向く方向を逆にしたことで、リリース時に指にかかるようになった。

「スピードも上がりましたし、コントロールもバランスもよくなった。約2カ月の自粛期間が自分を成長させてくれた。あの期間があったからこそ、甲子園での投球ができたと思います」

 甲子園での投球とは、幻になったセンバツ出場校のために行なわれた交流試合だ。智弁学園(奈良)を相手に6四死球は与えたものの、10回を投げて5安打11奪三振。149球中35球が150キロを超える力強さだった。

「1試合だけなのでわからないですけど、あの投球が続けられるのであれば、(プロ志望届を)出していたと思います」

 交流試合の時点では大学進学を決めており、プロ志望届は提出しない予定だった。しかし大学の推薦試験が思うような結果にならず、プロ入りを表明。地元の中日が1位指名して入団した。

【プロ4年目にタイトル獲得】

 高校時代の高橋がことあるごとに口にしてきた目標がある。それは、「世代ナンバーワン投手になること」だ。

 当時、投手としてのこだわりと自信を尋ねると、迷うことなく「ストレート」と返ってきた。高橋がイメージする理想のストレートは「ミットに突き刺さる。もっといえば、ミットを突き破る球ですね」。

 プロ入り後はストレートに加えスプリットを武器にし、3年目の2023年、WBC日本代表に選出されて世界一。4年目の昨年は防御率1.38をマークし、タイトルを獲得した。すでに世代ナンバーワンの称号は手に入れたといっていい。

今年は本来の投球ができていないが、高校時代から数々の挫折を乗り越えてきた高橋なら、この苦しさを大きくジャンプする糧にできるはず。

 それができた時──師と仰ぐドジャース・山本由伸が待つメジャーの舞台が待っている。