日本高校野球連盟と朝日新聞社が高校野球の育成と発展に尽くした指導者へ贈る今年度の育成功労賞に、柴田、仙台三などで監督を…
日本高校野球連盟と朝日新聞社が高校野球の育成と発展に尽くした指導者へ贈る今年度の育成功労賞に、柴田、仙台三などで監督を歴任した高橋秀夫さん(62)が決まった。表彰式は7月9日、宮城大会の開会式である。
「自分は黒衣としてやってきただけなんです」。遠慮がちに笑う高橋さんだが、その指導力は折り紙付きだ。仙台三を2008年の秋の県大会4強に導き、泉を15年の春の県大会と夏の宮城大会で8強に進出させるなど公立校を次々強豪に育てた。
自身も、仙台三の野球部出身だ。当時の三浦邦夫監督が熱心に生徒と向き合う姿に憧れた。毎年どんな生徒が来るかわからない公立校で勝ち上がることに魅力を感じ、1986年に教員に。初任校の佐沼で監督に就いた。
指導人生のターニングポイントが、2001年に赴任した加美農だった。当時、野球部が一番荒れていると言われており、中には大きなピアスをぶら下げたり、パーマをかけたりする部員もいた。
それでも、光るものがあった。初めての練習試合では負けたものの、締まった試合をする姿に、目を見張った。試合後、何げなく「なかなかやるなあ」と声をかけた。
その後、加美農は、2年連続で春の県大会出場を果たすことになる。後に部員から「あの言葉で『よし、やるぞ』と思った」と言われ、自分の何げない一言が、選手たちを奮起させていたと知った。
ただ、そこに至るまでの道のりは険しかった。部員に反発されることも数多く、その度に一人ひとりと向き合い、対等に話し合った。厳しく叱った最後には、くすっと笑わせることも心がけた。
印象に残っているのは、赴任2年目の春の地区大会の初戦だ。相手投手の初球に、球審が「ストライク」と言った時だった。突然、加美農の打者が「ボールでしょ」と球審に文句を言い始めた。「何やってるんだ」と注意したが、その選手が3度エラーして、チームはコールド負けを喫した。
「お前だけの試合じゃない」。試合後、他の部員もいる中で思い切り叱った。この日は最後に笑わせることもしなかった。「言い過ぎたかな」。次の日、練習に来るだろうか。心配していたが、叱られた部員は神妙な顔でグラウンドにやってきた。
次の試合、その選手は3度安打を放ち、ノーエラー。その後の試合でも大活躍した。「気持ちを入れ替えたんでしょう。本気で向き合うと、子どもたちはこんなに変わるのかと驚いた。日々の信頼関係があってこそですけどね」。チームは春の県大会出場を果たした。
「どうせ俺たちなんて」と劣等感を抱いている生徒が多かったが、一方的に否定せず、良さを認め、真剣に向き合うと生徒も変わると気づいた。
03年から母校・仙台三の監督に。08年には校舎の建て替えの時期にあたり、グラウンドが内野ほどのスペースしか使えない状況だった。そこで、バントの練習ばかりしていると、春の地区大会で5連続バントで逆転サヨナラ勝ちを果たした。
「満足に練習できない環境なのに、悲壮感を漂わせず、一生懸命取り組む生徒たちに感心した」。チームは秋の県大会で4強入りも果たした。
チームを強くするために大切にしたのは「生徒を一流に触れさせる」こと。オリンピックの野球日本代表に同行した管理栄養士や、プロトレーナーを学校に招き、指導を仰いだこともあった。一流の人と交流すると、生徒は目を輝かせ、色んなことを吸収するという。
メンタルトレーニングにも力を入れた。苦しいトレーニングの時には、トレーニングを強豪校に見立てて声を張り上げた。声に出せばイメージが明確になり、実際に仙台三や泉時代には公式戦で強豪・東北に勝利した。
90人を超える部員を率いることもあったが、球児には、たとえレギュラーになれなくても「俺はだめだ」と思わず、3年間やり切ったんだという自信を身につけてほしいと願って指導した。「自分の努力を見ている人は必ずいるし、見えないところで支えてくれる人もたくさんいる」と言う。
「高校野球は3年で終わっても、そこから先は長い。社会に出てからも、周りへの想像力を働かせられる人になってほしい」。そう願っている。(岸めぐみ)