サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、生命に不可欠なもの。
■観測史上「最高」を記録した熱戦
6月29日(日)に東京の味の素スタジアムで行われたJ1の東京ヴェルディ×川崎フロンターレは、なかなかの「熱戦」だった。前半にCKを活かして東京Vが先制、後半、川崎が反撃に出るなか、東京Vも守勢一方になるのではなく、ボールを奪うと果敢に前進してパスをつなぎ、ゴールに迫って川崎をけん制する。
「熱戦」はプレーだけではなかった。公式記録によればキックオフ時の気温は29.3度、湿度は66%。時折かすかに風が吹いたが、とにかく蒸し暑い夜だった。東京では「梅雨空け宣言」前だったが、6月1か月間の平均気温は「観測史上最高」を記録したとのことで、完全に「真夏」の感覚である。そのせいか、後半24分過ぎには、小屋幸栄主審は「飲水タイム」を指示した。前半はとらなかったこのブレークを後半だけとったところに、暑さへの「危機感」が表れていた。
試合がアディショナルタイムにかかった頃、川崎のスルーパスを阻止しようとした東京VのDF谷口栄斗の左手が競り合った川崎FW山田新の顔に入り、山田が倒れるというアクシデントがあった。川崎のベンチのすぐ前である。谷口にはイエローカードが出され、山田のケアにドクターが入る中、何人かの川崎の選手たちは、タッチラインまで水を持ってきたスタッフのところに走り寄り、保冷バッグの中から小さめのペットボトルを取り出して飲んだ。
■相手チームの「ボトル」をゴクゴク
私が興味深く感じたのは、そこに東京Vの選手も歩み寄ってきたことである。後半27分にFW齋藤功佑との交代で入っていたFW熊取谷一星である。今年、明治大学から加入したばかりの「新人」だが、臆することなく川崎のスタッフが持つ保冷バッグの中に手を突っ込んで新しいボトルを1本取り出し、ゴクゴクと飲んで、空のボトルをタッチラインの外に投げ捨てたのである。
Jリーグでは、こうした光景はどの試合でも見る。相手チームのテクニカルエリアに並べてあるボトルを手に取って飲む選手も珍しくはない。そして「取られた」チームも平然としている。サッカーは「点を取り合うゲーム」であり、「ボールを奪い合うスポーツ」であるが、「水」は、分かち合うものなのに違いない。
私が監督をしている女子チームでは、練習中の飲水のタイミングで、ボトルを手にした選手が、隣に来たチームメートに渡し、彼女が飲み終わってから自分が飲むという姿をよく見かける。面倒くさい選手ばかりだし、なかなか強くはなれないが、「このチームの監督はやめられないな」と思うのは、そんなときである。
■試合の「3分の2」が正午キックオフ
サッカー選手が試合中に水を飲むようになったのは、私の記憶では、1986年のワールドカップ・メキシコ大会だったと思う。この大会は、全52試合中、実に67%にもあたる35試合が12時キックオフで行われた。「深夜」ではない。「正午」「真昼」である。
メキシコという国のサッカー習慣が、正午にキックオフすることになっているわけではない。暑さが厳しい国なので、大半の国内試合は太陽が沈んでから行われる。しかし、欧州と8時間の時差があり、欧州の「ゴールデンタイム」にテレビ中継するために、多くの試合が12時(欧州では20時)キックオフとなったのである。
ちなみに、メキシコでのワールドカップは1970年大会に続いて2回目だった。わずか16年後に2回目の大会を開催できたのは、本来この1986年大会の開催が予定されていたコロンビアが経済の悪化で開催を返上し、大会の3年前になって代替開催国を探さなければならなくなった国際サッカー連盟(FIFA)が、1970年の大会施設が残るメキシコを選んだからだった。
だが、たった16年間で、ワールドカップはまったく違う大会になっていた。1970年は初めて全世界にカラー中継された大会で、やはり欧州での放映時間を考えて12時キックオフの試合もあったが、32試合中約3分の1にあたる10試合、特に注目が高い試合だけだった。残りの試合は、16時(欧州では深夜0時)キックオフだった。しかし16年後の1986年は、すでに「テレビのための大会」になっていた。欧州のテレビ局からの強い要望で、全試合の3分の2が12時キックオフで行われたのである。