中畑清×篠塚和典 スペシャル対談(4)(対談3を読む:中畑清が篠塚和典との対談で明かした、DeNA三浦大輔監督に伝え続け…

中畑清×篠塚和典 スペシャル対談(4)

(対談3を読む:中畑清が篠塚和典との対談で明かした、DeNA三浦大輔監督に伝え続けていること 期待の若手は「我慢して使うべき」>>)

 芸術的なバットコントロールと守備で活躍した篠塚和典氏と、「絶好調男」などの愛称で親しまれた中畑清氏。長きにわたって巨人で活躍したレジェンドOBふたりに、数々のエピソードを語ってもらった。


長く巨人で活躍した中畑氏(左)と篠塚氏

 photo by Sankei Visual

【中畑がショックを受けたドラフトでの出来事】

――おふたりは1975年の長嶋一次政権時のドラフトで同期入団されていますが、お互いの印象はいかがでしたか? 

中畑清(以下:中畑) シノ(篠塚氏の愛称)の存在はまったく知らなかったんです。夏の甲子園で活躍し、銚子商(千葉)を優勝に導いたことも知りませんでした。当時、自分が巨人からドラフト1位の評価をされていることが報道されていたので、その気になっていたのですが、蓋を開けてみたらシノが1位指名されて......私の立場はなくなってしまうわけじゃないですか。

 自分とシノの関係はそういう状況からスタートしているんです。だから本当は、絶対に仲がよくならないはずなのですが、いいんだよな~(笑)。シノは「超」がつくほど人間性が真面目で、とにかく野球が大好き。ひらすら練習をしていた印象があります。多摩川グラウンドでたくさん練習をした後、寮に帰ってきてからも練習していましたからね。

 自分は練習が終わってすぐに麻雀卓に座っていたのですが、シノがティーバッティングをしている打球音が、私たちがいる部屋まで聞こえてきましたから。シノが首位打者を2度獲得する一方、自分は首位打者になれませんでしたが、その時の過ごし方の差だったと思っています。

■中畑清(なかはた・きよし)

1954年1月6日生まれ、福島県出身。駒澤大学を卒業後、1975年のドラフト3位で巨人に入団し4年目から一軍に定着した。通算打率.290の打撃、ファーストでゴールデングラブ賞を7回獲得した守備で勝利に貢献。長嶋監督から調子を聞かれ、試合に出るために「絶好調!」と答えて「絶好調男」としても人気を集めた。1989年に現役を引退。2012年から4年間、DeNAの監督を務めた。また、2004年のアテネ五輪ではヘッドコーチを務めていたが、チームを率いていた長嶋茂雄氏が脳梗塞を患って入院したあとに監督を引き継ぎ、チームを銅メダルに導いた。

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。