大相撲元横綱の白鵬翔さん(40)が9日、東京都内で記者会見を開いた。世界相撲プロジェクトを推進する新会社を設立後、代表…
大相撲元横綱の白鵬翔さん(40)が9日、東京都内で記者会見を開いた。世界相撲プロジェクトを推進する新会社を設立後、代表に就任する予定だという。日本相撲協会を退職したいきさつや今後のことについて、約1時間にわたって語った。
「相撲に愛され、相撲を愛した25年だった。私白鵬翔は協会を退職し、新たな夢に向かって進み出すことを皆さんにお伝えします。今の自分が置かれた立場を考えると、協会の中ではなく外の立場から発展に尽くすことが良いと判断した」
「弟子たちへの愛情は変わらない」
今後の活動については、「日本のみならず、世界の人たちに『世界相撲グランドスラム』で広めてまいります。相撲は神事でもあります。精神や肉体を鍛え、人々を導く道でもあります。いま世界にある差別や偏見を解消するための基本を届けることができると信じております。この理念をもとに『世界相撲グランドスラム』を実現してまいります」
■「照ノ富士の下は嫌」というのはない
報道陣との主なやり取りは以下の通り。
――退職を決断したのはいつごろか。
「3月、本当に悩みました。退職という形になりましたが、弟子たちにはやっぱり夏場所がありましたから。場所後に全員に伝えました。この3月からの思いがありましたので、それはしっかりと伝えましたし、弟子たちも本当に悔しいという思いがありました。また、宮城野部屋が復活することも伝えました」
――5月の夏場所中、「なんとかもう一度考え直してくれ」と、いろんな人から励ましがあったが、気持ちが変わらなかった理由は。
「やはり3月、また(白鵬さんと宮城野部屋の弟子たちが伊勢ケ浜部屋の)預かりになって、丸1年が経ちました。いつ、というのが見いだせず、また延ばす。それが大きいのかなと思っております。去年から一門でいろいろな案が出ましたし、弟子たちは大島部屋に、(親方の)元旭天鵬さんのところに行きたいという思いはありましたが、『同じモンゴル出身だからダメだ』という声があった。『大島部屋でなければ、ほかの部屋に行きたくない』という弟子たちがいまして、9人が引退した原因であります。
報道で色々書かれていましたけど、後輩である同僚の照ノ富士が伊勢ケ浜親方になることっていうのは、去年の話と今年の話で、ずいぶんずれがあるなという判断であります。照ノ富士は私が父、私が間垣部屋に照ノ富士を入れましたし、本当に後輩としてよく頑張ってくれました。『照ノ富士の下は嫌だ』というのはまったくありません。その辺がやっぱり、相撲協会を外の立場から応援していく形になった(理由)と思います」
――2日に協会からメディアに文書が発表された。その文書では、宮城野親方は「弟子の指導に身が入っていない」とあり、「春日野親方は部屋の復活が考えられなかった」とあった。この1年間、一生懸命頑張っていたと思うが、そう思われた心当たりはあるか。
「これは3月に入ってからの会話だと思います。心の、気持ちの揺れがありまして。3月からそういった言葉や行動で、私の身が入っていないというのがあったかもしれません。しかしながら、この1年間、一緒に過ごした伊勢ケ浜部屋や、宮城野部屋の若い衆は(自分が)どれだけ一生懸命やってきたか知っていますし、自信を持って言えると思います」
――日本相撲協会を離れることに悔いはあるか。
「悔いはまったくありません」
「本当に25年間ありがとうございました。改めて準備ができ次第、発表させていただきたい。弟子たちを近くでみながら横綱、大関になるのを見たいという思いがありましたけど、外の立場から応援します。いずれ相撲が五輪(の実施競技)になる夢をみて、今後力をとどけていきたい。ありがとうございました」