日本球界の繁栄に尽力し、お茶の間でも愛された長嶋氏。(C)産経新聞社 巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が6月3日午前6時39分…

日本球界の繁栄に尽力し、お茶の間でも愛された長嶋氏。(C)産経新聞社
巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が6月3日午前6時39分、東京都内の病院で肺炎のため死去した。89歳だった。
押しも押されもせぬ「大スター」だった。立教大から1958年に巨人に入団した長嶋氏は、1年目から本塁打、打点の二冠王に輝くなど華々しい成績をマーク。王貞治(現ソフトバンク球団会長)とともに「ON砲」としてチームをけん引、V9を達成するなど黄金時代を築き、プレーヤーとしては5度のMVPに加え、首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度と圧巻の成績を残した。
【画像】大谷翔平と長嶋茂雄氏の2ショット ミスターに追悼メッセージ
引退後には、指導者に転身。指揮官となった巨人では2度の日本一を経験。松井秀喜氏を育てるなど多くの名選手の育成にも携わった。
プロ野球ファンのみならず、お茶の間でも広く、そして長く愛された長嶋氏は、間違いなく日本球界の英雄だった。そんなレジェンドの訃報は、海外メディアでもクローズアップされている。
韓国の日刊紙『朝鮮日報』は「野球を日本人の『国民的スポーツ』にした人が、この世を去った」と銘打った記事を掲載。「“ミスター・プロ野球”と呼ばれた長嶋さんは、日本プロ野球の一時代を象徴する選手であり指導者だった」と伝えた。
日本のレジェンドの死を惜しんだ同紙は、「記録よりも記憶に残る人だった。一発の長打力、バットをガッチリと握る後ろ姿は、『日本の近代野球』が求めていた完璧な打者像に近かった。誰もが羨むスターであり、模範生だった」と称賛。そして、「日本のプロ野球から彼を除けば、『野球』を言えないという声すらある。だからこそ、彼は“ミスター・プロ野球”なのだ」とし、時代を超越した影響力の大きさを訴えた。
巨人、そして日本野球界のために、心血を注いだミスター。まさに「野球道」を貫いた生涯は、海外でも広く認知されていた。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
【関連記事】巨人OBからも"松井監督"待望論 長嶋氏との生前の約束をめぐって 「必要とされるときに行ってくれと」「そうであってほしい」
【関連記事】大谷翔平がミスターを追悼 長嶋茂雄氏との2ショット添え…「翔平さんステキな写真ありがとうございます」
【関連記事】「比類なき功績を後世に残した」海外メディアも長嶋茂雄さんを追悼 大谷翔平の投稿とともに偉大な足跡を紹介「計り知れない貢献」