監督時代はFA交渉に率先して臨み、多くの選手獲得に尽力した(C)産経新聞社 巨人軍の選手、監督として活躍した長嶋茂雄終身…

監督時代はFA交渉に率先して臨み、多くの選手獲得に尽力した(C)産経新聞社

 巨人軍の選手、監督として活躍した長嶋茂雄終身名誉監督が3日、肺炎のため、都内の病院で死去したことが明らかになった。89歳だった。

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 長嶋さんは立大から1958年に巨人に入団すると1年目から本塁打、打点の二冠王に輝くなど華々しい成績を残した。

 巨人においては王貞治(現ソフトバンク球団会長)とともに「ON砲」としてチームをけん引、V9を達成するなど黄金時代を築いた。

 74年には「我が巨人軍は永久に不滅です」と名スピーチを残し、引退。プレーヤーとしては首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度と圧巻の成績を残した。

 指導者としては松井秀喜氏を育てるなど多くの名選手の育成にも携わる中で監督時代に大きく話題を集めたのは「FA交渉人」として、各球団の選手を口説き落とす勝率の高さだった。

 1993年には球界を代表するスラッガー、落合博満氏が中日からFA宣言すると「ウチの若い選手にお前の生きざまを見せてほしい」と口説き、入団を果たした。 

 さらに話題を集めたのは96年シーズンにもあった。西武からFA宣言した清原和博氏をめぐり阪神とし烈な争奪戦を繰り広げる中、「思いっきり、私の胸に飛び込んできてくれ」と名ゼリフを残したことも有名。当時の阪神の吉田義男監督も清原選手に対しては「阪神の縦縞のユニホームを横縞に変えるような気持ちがある」とこちらも球界史に残る名言を残した。

 さらに時は進み、99年にも当時ダイエーの左腕エースだった工藤公康氏を獲得。同年は広島の主力、江藤智氏をめぐる動きも注目された。

 赤ヘルの4番、強打の右打者獲得に動いたミスターは4球団が獲得に動く中、「荒波に向かっていきなさい!」と当時、自身の野球に悩みを抱えていた江藤氏に対し、あえて、困難な道に向かってくるように声をかけたとされる。

 江藤氏の背中を押す結果となり、同選手が加入した2000年は主力、松井秀喜の前を打つ右の大砲が固定となったことで6年ぶりの日本一も達成した。

 現役時代は誰も到達できない成績で一時代を築き、昭和を彩った。指導者となってからも常に「常勝巨人」を支えるために心血を注いだミスター。まさに「野球道」を貫いた生涯だった。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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