現在、潤沢なオイルマネーを背景に、サッカー界で意見を強める中東諸国。蹴球放浪家・後藤健生が所属していた真面目な組織も、…
現在、潤沢なオイルマネーを背景に、サッカー界で意見を強める中東諸国。蹴球放浪家・後藤健生が所属していた真面目な組織も、いつの間にか、その支配下に置かれていたという。静かに忍び寄る「長い手」に、蹴球放浪家が警鐘を鳴らす!
■「IFFHS」メンバーに
「IFFHS」という組織をご存じでしょうか?
僕はメンバーだった当時、「国際サッカー歴史記録学会」という訳語を使っていましたが、現在では「国際サッカー歴史統計連盟」と直訳に近い言葉が使われているようです。
アルフレード・ペーゲ博士によって1984年に東ドイツのライプツィヒで発足した組織です。
僕がペーゲ博士から初めて手紙をもらったのは1990年代前半だったと思います。『ワールドサッカー』誌など、僕が海外雑誌にも簡単な記事を書いていたのでコンタクトしてきたのでしょう。
ペーゲ博士は1985年に政府の許可を得て西ドイツに移住。最初はヴィスバーデン、その後はボンに居を構え、自宅がIFFHSの事務局になっていました。
蹴球放浪記「半密室内での一期一会」の巻でも東ドイツからの夜行列車の中で出会った東ドイツ人のことを書きましたが、合法的に西側に移住した人もいるのです。
■「進まない」本来の事業
当時、ペーゲ博士らが力を入れていたのは「世界サッカー史」の刊行でした。各国にサッカー史の本は存在しましたが、すべての国のサッカー史を同じフォーマットで出版しようという事業でした。まず、19世紀のサッカー史をそろえてから、時代ごとに刊行するということで、お膝元のドイツやイングランド、ベルギーなどから刊行が始まりました。
日本の場合、本格的にサッカーが始まるのは20世紀に入ってからなので、19世紀の各国の歴史が出そろってから日本のことを書いてくれという依頼で、非常に真面目な企画だと思ったので、僕も賛同してメンバーになりました。
サッカー史の刊行と同時に、IFFHSは記録の収集やクラブのランキング、最優秀選手や最優秀審判の選出という事業もやっていました。あくまでも歴史の研究が主体で、こうした表彰は副業だったはずでした。
ところが、サッカー史の刊行はなかなか進まず、そのうち、表彰企画がどんどん増えていきました。投票の依頼がしょっちゅう届いたのです。
しかし、たとえば「最優秀審判」を選べと言われても、僕は(というか誰でも)世界中の試合を見ているわけではありません。1990年代に入ると、日本でもヨーロッパの試合映像は見る機会が増えましたが、南米やアジア、アフリカの試合を観る機会など、あまりありません。
■投票選出に「意味なし」
そんな状況で投票をおこなっても、結局、投票者の多くが住むヨーロッパの審判が選ばれるに決まっています。
まあ、ゴール数や観客数といった客観的な数字で選出する賞はともかく、投票で「最優秀〇〇」を選ぶのに大きな意味があるとは思えませんでした。
それで、僕はあまりアクティブなメンバーではなくなっていくのですが、そのうち、IFFHSは年に1回、「ガラ」と称して大々的な表彰式を開催するようになりました。ドイツのテレビ局から資金協力を得て、表彰対象者である選手や監督などを招いて表彰式とパーティが行われるのです。
たしか2003年の1月だったと思いますが、僕も「ガラ」に(往復航空券付きで)招待されて参加しました。場所はオーストリアの古都ザルツブルク。美しい古城とモーツァルトの街。冬だったので、ザルツブルクの雪景色は本当に美しかったのを覚えています。