自身の地元も競馬に縁の深い場所だったという脳みそ夫氏 好評連載中の特別企画「思い出のダービー馬」最終回はJRA競馬学校が…

自身の地元も競馬に縁の深い場所だったという脳みそ夫氏

 好評連載中の特別企画「思い出のダービー馬」最終回はJRA競馬学校がある千葉県・白井市の出身という芸人・脳みそ夫が登場する。

 みそ夫にとって忘れられないのが第60回(1993年)ダービー馬のウイニングチケット(父・トニービン)だ。当時はまだ中学生2年生だったが、大人気ゲームの存在から競馬の存在を知った。

【動画】マサトコールも話題となった1993年のダービー馬、ウイニングチケット

ーーダービースタリオンというゲームにすごいはまったんです。そこからテレビで流れる競馬を見るようになって、初めて見たダービーがウイニングチケットのダービーだったんです。僕の周りには競馬を見てる友達なんていませんでしたね。

 ウイニングチケットの鞍上は柴田政人。何度も手が届かなかった悲願のダービー制覇に向け、同レース19回目の騎乗だった。

ーーその頃の僕にはダービーがどれだけ凄いレースか分からなかったんですが、柴田さんの鬼気迫る表情から、すごいレースなんだと感じましたね。

 最後の直線、内からはビワハヤヒデが迫り、外からナリタタイシンが差してきたが、柴田は懸命のアクションでウイニングチケットを鼓舞し、先頭でゴールを駆け抜けた。会場から「マサト! マサト!」のコールが発生したのは語り草となっている。

ーーダービーを取ることが騎手人生においてどんなに大変なことかっていうのが分かった、そんなレースでしたね。

 地元が千葉県白井市ということで競馬ファンにとっての”聖地”の存在もあった。

ーー競馬学校があるんですよ。すべてのジョッキーが白井市で生活してたことがあるわけですからね。僕が小さいころは、コンビニがローソン1件しかなくて。そこに競馬学校の生徒がお忍びで来ていたなんて話もありました。もしかしたら、武豊騎手も来ていたのかも(笑い)。

【のう・みそお】

1980年1月22日生まれ。千葉県出身。顔が聖徳太子のOLという「OL聖徳太子」というキャラコントや口をタコ口にした「こんちわ~す!」というあいさつギャクなどでブレーク。変幻自在のお笑い芸人。2025年4月から「タイタン競馬部」に入部。

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