「唯一無二の横綱を目指します」。角界の頂点に立った決意を力強く述べた。石川県津幡町出身の大関・大の里が28日、第75代…
「唯一無二の横綱を目指します」。角界の頂点に立った決意を力強く述べた。石川県津幡町出身の大関・大の里が28日、第75代横綱に昇進した。石川県から52年ぶり3人目、北陸3県からは5人目の横綱。最初の横綱を197年前に生んだ能登半島地震の被災地からも、地域を勇気づける横綱として期待の声が寄せられた。
大の里は口上を述べた後の記者会見で能登への思いについて、「大変な状況が続いているが、明るいニュースを届けられた。能登を勇気づけ、元気づけるため、横綱として頑張っていきたい」と話した。
北陸から最初の横綱が生まれたのは石川県能登町の七見(しちみ)地区だ。第6代横綱の阿武松(おうのまつ)緑之助。江戸時代の1828(文政11)年に横綱になった。
地区の海岸近くには、「横綱阿武松碑」と刻まれた1937年建立の石碑が立つ。台座を含めた高さは5メートルを超え、国内最大の横綱顕彰碑という。
昨年元日の地震では地区にも被害があったが、阿武松の碑は無傷で、高さ1・9メートルの津波にも耐えた。
自宅敷地にあった蔵を公費解体した区長の東(ひがし)哲範さん(79)は「地区のみんなで『さすがの横綱相撲で残った、残った』と感動した。大の里も強い横綱になってくれるでしょう」と話した。
阿武松の後、北陸からは明治時代に富山市出身の第20代・梅ケ谷と第22代・太刀山、昭和に石川県七尾市出身の第54代・輪島が横綱になった。5人目の大の里は初土俵から13場所で横綱に上りつめ、輪島の21場所を大幅に塗り替えた。輪島に次いで史上2人目の大卒の横綱になる。
阿武松は1835(天保6)年に引退するまで、負け越しが一度もなく、その強さや出世物語は落語「阿武松」として、今も高座で人気だ。
東さんは幼いころから阿武松の伝説を祖父や父から教わった。「故郷に帰ると、大きな鉄げたをはいて歩いていた」「神社に大きな獅子頭を奉納してくれた」などの話を聞き、小学生のころは、そんな姿を想像しながら紙芝居を作った。
東さんは「故郷の横綱はいつの時代もあこがれの存在。大の里も地震からの復興の源として、心の支えになっている。みんなに愛される横綱になってほしい」と期待している。
能登町の吉田義法町長(54)も伝説を聞いて育った。阿武松が引退して地元に立ち寄った時、青竹を切らせて自分の力でねじって綱のようにして腰に巻いて土俵入りを披露したという。「大の里をきっかけに、石川で最初の横綱がここで生まれたことを知ってもらえるのもうれしい」と話した。(樫村伸哉)