プロバスケットB3トライフープ岡山で5人制の創設からプレーしてきた岡田陸人選手(32)が、今季限りで引退した。数少ない…
プロバスケットB3トライフープ岡山で5人制の創設からプレーしてきた岡田陸人選手(32)が、今季限りで引退した。数少ない地元出身選手で、全力プレーで愛されたクラブの顔。4月6日の引退セレモニーで「若い選手にバトンを回すことがクラブのためと決断しました」と涙まじりにあいさつした。
倉敷市出身。小学1年生で始めたバスケットが常に生活の中心だった。学校から帰ったら、公園でずっとプレー。「うまくなりたかったらいつもボールを触れ」と言われ、抱いて寝た。高校は「私立を倒せる県立に行きたい」と玉野光南へ。3年次に全国高校総体とウィンターカップ初出場を果たした。
卒業後はチームを持つ県内企業で働きながら3人制クラブでもプレーしていたが、トライフープの5人制への誘いを受け退社した。
25歳でプロに転じたオールド・ルーキーは「最初の2年がすごい大変だった」と振り返る。昼間はスポンサー企業で働き、夜は練習。金曜夜に移動し、土日に試合をした。「バスケットで食えるようになったのはB3の2年目から」
175センチ、75キロの体をはった守備が身上で、チームに火を付ける役割を自認し「試合の最初の3分は死にそうになるぐらいでいった」。選手として共にプレーした大森勇ヘッドコーチは「守備と気力で流れを作ってくれる選手だった」と高く評価する。
だが、けがも多く、思うような守備が年々できなくなった。家族に「ここまで頑張ってきたんだからもういいじゃない」と言われ、肩の荷が下りたという。
玉野光南で監督だった新見の安藤龍太校長は「プロでは自分の仕事をしっかりしてチームに貢献した。バスケットで人間的に成長したことに感動させてもらった」とねぎらう。
高校で初めてもらった背番号18はクラブ初の永久欠番になった。「地元のチームでプロになれて終われた。夢のような時間でした」(大野宏)
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トライフープ岡山 屋内のフリーコートとスクール事業から始め、15年に3人制チームを発足。18年には5人制チームをつくって地域リーグに参戦し、19~20年シーズンからB3リーグに参入した。今季は17チーム中16位と参入以来最低の成績で終わった。(大野宏)