腕を組み、微動だにしなかった。 4月上旬、新潟市内の野球場で開かれた高校野球の審判の講習会。島津善範さん(70)は、新…
腕を組み、微動だにしなかった。
4月上旬、新潟市内の野球場で開かれた高校野球の審判の講習会。島津善範さん(70)は、新潟県高野連の審判部会長としてグラウンドの後輩たちに射るようなまなざしを向けていた。高校野球に審判として携わって35年。この11月、後進に後を託す。
小学3年のころ野球を始め、高校は新発田商工(当時)に進んだ。1年生の夏には甲子園にあと1勝まで迫るほど、チームは強豪だった。自身は芽を出せず、記録員で高校野球生活を終えた。
だが、熱意は失せない。「野球に関係する仕事がしたい」と、埼玉県の野球道具メーカーに入社。4年後に帰郷し、新潟県新発田市の運動具店で働いた。その傍ら軟式野球チームに入り、選手や審判としてグラウンドに立った。35歳の時、高校野球の審判にスカウトされた。
2005年7月28日、夏の新潟大会決勝。新潟明訓と中越の一戦は逆転、同点、勝ち越しを繰り返す名勝負になった。決勝では大会史上最長になる延長14回までもつれた死闘を球審としてさばいた。
「暑くて暑くて。意識が飛びそうだった」と言いつつ、最も心に残る試合の記憶は鮮明だ。選手たちの名前がぽんぽん飛び出し、試合終了の三振を告げる時に叫んだ「ストライクスリー!」も振りつきでやってみせた。
高校球児として過ごし、現在は運動具店「キャプテン」を営む新発田は野球熱が高い。5年ほど前に「市青少年野球協議会」を設立し、会長に就いた。将来の高校球児たちに県内外の強豪校の試合を見せ、野球の素晴らしさを教えている。
古希を迎えているのに頭の白髪は数えるほどしかない。「高校野球に関わってきたからですよ。高野連からは引退するけど、まだまだこれからだよ」。豪快に笑った。(鈴木剛志)