早稲田大・伊藤樹インタビュー(後編) チッ、チッ、チッ、チッ、チッ......。メトロノームが刻む無機質なテンポに乗って、伊藤樹(たつき/早稲田大4年)は捕手にボールを投げ込む。ブルペンにいた周りの選手たちからは奇異の目で見られ、先輩からは…

早稲田大・伊藤樹インタビュー(後編)

 チッ、チッ、チッ、チッ、チッ......。メトロノームが刻む無機質なテンポに乗って、伊藤樹(たつき/早稲田大4年)は捕手にボールを投げ込む。ブルペンにいた周りの選手たちからは奇異の目で見られ、先輩からは「何やってんの?」とあきれられた。「たぶん、ヤバいヤツと思われていたはずです」と笑う伊藤だが、明確な狙いがあった。



早稲田大のドラフト候補・伊藤樹 photo by Sankei Visual

「人間は同じリズム、同じ体の使い方ができれば、同じところにボールが行くはずなんで。まずはリズムを一定にすることで、投げる動作に集中したかったんです」

 練習を続けるなかで、伊藤のなかに不思議な感覚が芽生えたという。

「だんだんリズムに乗っていけるようになって、メトロノームのテンポに自分が支配されていくんです。余計なことを考えずに、ひたすら無心で投げられるようになりました」

 大学3年になると出力と制球のバランスが取れるようになり、春夏合わせて9勝1敗をマーク。大学日本代表にも選出された。

【威力が増したストレート】

 そしてドラフトイヤーとなる今春、伊藤の投球を見て、ある変化を感じた。ストレートの球威が一段、増したように感じたのだ。

 4月26日の対法政大1回戦。先発した伊藤は5回を投げ、被安打1、奪三振6、失点0の快投を見せた。チームが大量リードしたこともあって5回で降板したものの、法政大打線をストレートで押し込むシーンが目立った。

 試合後、法政大の大島公一監督は、伊藤についてこんな印象を語っている。

「ベンチから見ていると、昨年よりもボールが強くなっているように感じました」

 伊藤本人にも確かめてみると、意外にも浮かない表情でこんな答えが返ってきた。

「昨年よりボールの強さ、角度はよくなっていると思います。でも、春先の状態がよかった頃と比べると、全然よくないですね」

 そこまで話すと、伊藤はぐっと言葉を飲み込んだ。開幕戦(対東京大1回戦)で打球を左ヒザに受けるアクシデントがあり、コンディションは万全とは言いがたい。さらに昨季までバッテリーを組んだ印出太一(現・三菱重工East)が卒業し、経験の浅い捕手と試行錯誤を重ねている事情もある。言い訳をしようと思えば、いくらでもできる材料は揃っていた。

 5月5日の対立教大3回戦では、3回8失点の乱調で早期降板している。だが、伊藤はその責任を一身に背負い込んだ。

「満足に投げられたボールはそんなにありませんでした。でも、そういうなかでも、経験のある自分が結果を残さないといけないですね」

【今を大切に生きたい】

 中学から全国屈指の強豪のエースとして戦ってきたが、名門・早稲田のエースにのしかかるプレッシャーは半端ではない。たとえ万全でなくても、結果が求められる。それがエースの宿命だと伊藤は知っている。

 時には孤独を感じることもあるが、伊藤はある理解者の存在に救われているという。

「常に『勝つこと』が目の前にあって、ずっと窮屈に野球をやってきました。理解してくれる人は本当に少ないんですけど、小宮山さん(悟/早稲田大監督)は早稲田のエースとして、プロの投手として突き詰めてきた方です。僕の気持ちを理解いただけるし、いろいろと教えていただいています。ここに来て、本当によかったと感じます」

 どんなに苦しい思いをしても、勝つことですべてが報われる。伊藤は昨年、その味を覚えた。

「やってきたことは間違っていなかったし、1年間投げ切れたことは我ながら評価に値すると感じました。自分が目指してきた道は、ここなんだなと思いました」

 早稲田大は立教大に勝ち点を落としたものの、まだ優勝の可能性を残している。明治大、慶應義塾大との戦いに、リーグ3連覇がかかっている。

 最後に伊藤に聞いてみた。伊藤が「ドラフト上位指名を受けて、プロに行く」という意思を持っていることは、すでに各種メディアで報じられている。それでは、伊藤は今後、どんな人間になっていきたいと考えているのか。

 伊藤はこの日もっとも困惑した表情を浮かべ、「うーん、難しい質問ですね......」と長考に入った。

 そして、意を決したように口を開いた。

「僕は信念とかあまり持っていないので、そういうのがないんですよね。でも、強いて言えば、『今を大切に生きたい』ということですかね。だいたいみんな、未来のことを考えすぎだと思うんですよ。もちろん未来は大事ですけど、僕は今を大事にしたい。今、一緒に過ごしている仲間や家族との時間を大切にしたいですね」

 遠い未来ではなく、今を生きる。それはロマン型がもてはやされるドラフト戦線に対する、実戦型のささやかな反抗にも思えた。

「実戦型の秀才」といっても、レベルアップのためにメトロノームまで活用するような、柔軟な発想の持ち主である。伊藤樹はなりふり構わず自分を突き詰め、修羅の道を突き進む。